三菱ブランドの歩み

金の価値そのものは世界共通で普遍のものです。しかし、世界での流通を保証される金塊は先ずLBMA(ロンドン貴金属市場協会)の厳正な審査基準をクリアすることが求められ、その基準をクリアした企業のみにブランドと登録の証を刻印することが許されるのです。
その刻印された「ブランド」が品質、価値、流通の保証を裏付けるものなのです。三菱の刻印を登録の証として金塊に打てるのはもちろん三菱マテリアルだけです。
ここでは、歴史ある製錬メーカーとして世界に認められた三菱ブランドをお勧めする背景をご説明いたします。

総合非鉄金属製錬メーカー

私達はあらゆる産業の基盤である銅をはじめ、様々な金属やその合金を製造しています。その安定供給のため世界中のネットワークで鉱石を輸入し製錬しています。実は、弊社の金はほとんどが銅鉱石に含まれています。いわば銅の副産物なのです。しかし逆にこれが、これからも安定して金を作り、販売していくには大事なことなのです。

弊社の直島製錬所(香川県)では銅の生産とともに金・銀・白金などを生産しています。
世界に誇る「三菱連続製銅法」(三菱法)に象徴される先進の生産技術と分析技術に裏打ちされた三菱ブランドはLBMAの基準を1981年にクリアしています。

直島HP銅熔錬プロセス
直島エコツアー

製錬のメーカーとして、弊社が皆様にご提供している金は全て直島製錬所で厳重な品質管理のチェックを受け新しくでき上がったものばかりです。安心して大切な資産の保全にご活用していただけます。

直島製錬所で培われた技術を環境配慮に活かすことにも積極的に取り組んでいます。産業廃棄物などの無害化処理や含有される銅・金などのリサイクルには地球環境に少しでも優しくとの願いが込められています。

弊社が協力する香川県直島エコタウンでは実際のプロセスを見学することもできます。

ゴールドバーができるまで

  • ゴールドバーができるまで
  • 銅精鉱の中から金を取り出す | STEP1:海外から銅精鉱を輸入
  • 海外から銅精鉱を輸入
  • STEP2:電気銅と金銀スライムに分離
  • 電気銅と金銀スライムに分離
  • 貴金属工場にて職人の手作業によりゴールドバーへ | STEP3:金銀スライムから金粒に
  • STEP4:金溶解
  • 金溶解
  • STEP5:金鋳造
  • 金鋳造
  • STEP6:冷却
  • STEP7:職人のチェック
  • STEP8:精密秤量機へ
  • STEP9:刻印~完成

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三菱の歴史と伝統

私達の金製錬のルーツは1871年(明治4年)にまで溯ります。炭鉱を中心とした鉱業部門に進出、以後岡山県の吉岡鉱山を買収し、金属鉱山事業に進出。1896年(明治29年)には新潟県の佐渡金山、兵庫県の生野銀山とともに宮内省より大阪製錬所の払い下げを受け、金属製錬事業に進出、三菱ブランドの金が誕生しました。それから現在に至るまで、「金本位制」「二度の世界大戦」「戦後の奇跡の発展」など、日本の近現代を通し、「確かな価値」である金塊を作り続けてきました。今でも製造・販売に携わる一人ひとりがこの歴史とブランドを大切にして取り組んでいます。

西暦 「世界の金」の歴史 三菱ブランドの金の歩み
1816年 英国が金本位制を採用。その後、各国が追随し1900年には国際金本位制が成立する。  
1871年
(明治4年)
  九十九商会(三菱商会の前身)が紀州新宮藩の炭鉱を租借し、鉱業部門に進出。
1873年
(明治6年)
  三菱商会(三菱合資会社の前身)が岡山県の吉岡鉱山を買収、金属鉱山事業に進出
1889年
(明治22年)
  佐渡金山が宮内省御料局の所属となる。
1893年
(明治26年)
  三菱合資会社設立。
1896年
(明治29年)
  佐渡金山生野銀山とともに宮内省より大阪製錬所の払い下げを受け、金属製錬事業に進出、三菱ブランドの金が誕生。
1897年
(明治30年)
日本政府も欧州にならって「金本位制」に移行。  
1914年
(大正3年)
第一次世界大戦が勃発。英国が金の輸出を禁止。  
1917年
(大正6年)
英国の金輸出禁止に欧米各国も追随し、金本位制はその機能を失う。
日本政府は「金貨幣・金地金輸出取締法」を公布。これにより、日本の金本位制も事実上停止。
香川県に三菱合資会社中央製錬所(現直島製錬所)設置。
1918年
(大正7年)
  三菱鉱業株式会社設立。三菱合資会社より炭鉱部、鉱山部、研究所を継承。
1931年
(昭和6年)
「日本銀行買入法」が施行され、金の生産は日本の国家管理となる。  
1945年
(昭和20年)
IMF(国際通貨基金)設立。金1オンス=35米ドルを貿易決済手段とする「金ドル本位制」を制定。  
1950年
(昭和25年)
日本に「貴金属管理法」が施行。国内産貴金属は全量政府が買い上げ、一定のルートで民間に払い下げる形態となる。 過度経済力集中排除法により、石炭(三菱鉱業)、金属(太平鉱業)両部門が分離される。
1952年
(昭和27年)
  太平鉱業株式会社を三菱金属鉱業株式会社に社名変更。
1953年
(昭和28年)
貴金属管理法は「金管理法」に改定。政府の金買上量率が定められ、残りの国内新産金は鉱山会社から貴金属地金商などへ卸すことが許可される。依然、民間の金輸入は禁止されたまま。  
1971年
(昭和46年)
ベトナム戦争が泥沼化の一途を辿り、米国経済が疲弊。当時の大統領ニクソンが「金とドルとのリンク」を放棄すると発表(ニクソン・ショック)。  
1973年
(昭和48年)
米国は金ドル本位制に基づいた固定為替相場制が維持できなくなり、主要各国通貨は変動為替相場制に移行。
日本では金の輸入が自由化。
三菱金属鉱業株式会社を三菱金属株式会社に社名変更。
1978年
(昭和53年)
日本で金の輸出も自由化され、ようやく金の完全自由化が達成。 小売事業の先駆となる宝飾品事業をスタート。
1979年
(昭和54年)
ソ連のアフガニスタン侵攻。国際金価格が大暴騰。 多色18金素材「ダイヤゴールド」販売開始。(現在は製造中止)
1980年
(昭和55年)
史上最高値1oz 850ドルを記録。  
1981年
(昭和56年)
  弊社金地金がロンドン金市場で認定され、熔解・分析検定業者として登録される。
1985年
(昭和60年)
米国ニューヨークのプラザホテルで開催されたG5(先進五ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議)で、五ヶ国(米国、英国、旧西ドイツ、フランス、日本)が協調して為替レートをドル安に進めることを合意(プラザ合意)。これによりドル高が是正されるとともに、日本では急激な円高が進む。国際金価格は上昇、国内金価格は下落へ。  
1988年
(昭和63年)
  金地金の小売事業に本格参入。「三菱の金」のシリーズ広告をスタート。
東京・青山に、直営の宝飾・金地金売買店「ペルア青山店」をオープン。
精密圧延技術による純金カード発売。
1989年
(平成元年)
ベルリンの壁が崩壊。同時に米ドル一極集中の傾向が急速に強まり、以後10年にわたって「有事のドル」が浮上、「有事の金」が沈むこととなる。 大阪製錬所を閉炉。金製錬部門を、直島製錬所に移管。
純金積立「マイ・ゴールドプラン」の発売開始。
1990年
(平成2年)
  三菱金属と三菱鉱業セメントが合併し、三菱マテリアル株式会社として発足(12月1日)。
1991年
(平成3年)
ソ連、クーデターでゴルバチョフ大統領失脚。金の売却増大懸念から金相場は下落し、350ドルを下回る。  
1995年
(平成7年)
  弊社金地金がニューヨーク先物市場で認定をうけ登録される。
1996年
(平成8年)
  大阪・天満橋に、直営の宝飾・金地金売買店「ペルア大阪店」をオープン。
東京・丸の内に、直営の宝飾専門店「三菱ジュエリーコレクション丸の内店」をオープン。
1997年
(平成9年)
  純金カードによる豪華本を作成、ローマ法王ヨハネパウロ2世に献呈。
1998年
(平成10年)
韓国で金回収キャンペーン。
ECB(欧州中央銀行)が業務を開始。
東京・大手町に、直営の金地金売買専門店「ゴールドショップ三菱」をオープン。
1999年
(平成11年)
EU域内通貨をユーロに統合。
英国が金準備金の売却開始。
欧州中央銀行15行が米国ワシントンにて、今後5年間の政府保有金の売却・貸出制限を共同声明の形で表明(第一次ワシントン合意)。米国、日本、IMF(国際通貨基金)、BIS (国際決済銀行)も追随。
 
2000年
(平成12年)
  直島製錬所で製錬した200kg金塊が、ギネスワールドレコードに認定される。
2001年
(平成13年)
「9.11」米国同時テロ発生。ニューヨーク株式市場が取引停止に追い込まれ、緊急避難として大量の資金が金市場に流入した。 名古屋・中区錦町に、直営の金地金売買専門店「ゴールドショップ三菱 名古屋店」をオープン。
2002年
(平成14年)
日本でペイオフ第一段階解禁(定期性預金などが対象)。前年秋より大量の資金移動が発生し、金ブームとなる。
中国で金の完全自由化プログラムがスタート。上海に金取引所が創設。
 
2003年
(平成15年)
米英軍によるイラク攻撃。ニューヨーク金先物市場を舞台に投機な動きが活発となる。「有事の金」復活を象徴する事件。3月、「金ETF(上場投信)」がオーストラリア証券取引所に上場。引き続き年末にロンドン証券取引所にも上場となる。 「三菱の地金千両箱」発売(金地金10kg入り)。
福岡・博多中洲川端に、直営の金地金売買専門店「ゴールドショップ三菱 福岡店」をオープン。
2004年
(平成16年)
ワシントン協定が更新(第二次ワシントン合意)。金の売却量の総枠は、年間500トン、5年間で2500トンとなる。11月、「金ETF」がニューヨーク証券取引所に上場したことで、一躍、同商品への注目が高まる。 「三菱の金貨千両箱」発売開始(カンガルー金貨1oz、100枚入り)。オーストラリア・パース造幣局と販売提携。
仙台・青葉区中央に、直営の金地金売買専門店「ゴールドショップ三菱仙台店」をオープン。
ペルア大阪店、ペルア青山店の店名を、MJC大阪店、MJC青山店に変更。同時に、金地金・金貨の販売コーナーをインショップとして確立、それぞれ「ゴールドショップ三菱 大阪店」「ゴールドショップ三菱青山店」として再出発。
2005年
(平成17年)
日本でペイオフ全面解禁。これにより、預貯金から株式、投資信託、金などへ本格的な資産シフトが始まる。
ロシアの通貨バスケット制導入に続き、中国が「為替制度をドル・ペグ制から通貨バスケット制に移行する」旨の声明を発表。
「世界最大の金塊250kg製造に成功、ギネス記録更新。
金購入保管「マイ・ゴールドバンク」発売。
名古屋城博覧会、愛知万国博覧会にちなんで「三菱の純金鯱鉾」発売。
2006年
(平成18年)
「金ETF」によって創出された巨大な潜在需要をテコにホットマネーが先物市場に流入、金価格は26年ぶりに700ドル超えを記録する。「金ETF残高」は年末に600トンに達するまでになった。 「ゴールドケース5000」発売(金地金5kg入り)。
「純金十二支」発売。
2007年
(平成19年)
  「1g純金名刺」発売。
ゴールドショップ三菱大手町店を移転、MJC丸の内店と統合し再出発。
「三菱の金貨額カンガルーアニバーサリー」発売(カンガルー金貨1oz、11枚と21枚収納用)。
「三菱の桐箱入り金地金」(金地金1kg入り)発売。
「三菱の純金七福神」発売。
2008年
(平成20年)
年明け早々、金価格が28年ぶりに史上最高値(850ドル)を更新。
3月には史上初の1000ドル台を付ける。
9月にリーマンブラザーズの経営が破綻し、世界同時株安へ波及。
MGPエコメンバー募集キャンペーン実施。
(二酸化炭素排出権1000トン分を日本政府に無償譲渡)
ゴールドショップ名古屋店を宝飾品との複合店にリニューアルし、「MJC名古屋店」としてオープン。
ゴールドショップ仙台店が青葉通プラザへ移転し、リニューアルオープン。
2009年
(平成21年)
ワシントン協定が更新(第三次ワシントン合意)。金の売却量の総枠は第二次協定から縮小され、年間400トン、5年間で2000トンとなる。 「マイ・ゴールドプラン」にプラチナ積立コースを新設。
2010年
(平成22年)
PIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシア、スペイン)の財政悪化が表面化し欧州の債務問題へと発展。 1988年にオープンしたMJC青山店が閉店。
2011年
(平成23年)
先進国の債務拡大を背景としてソブリンリスクが高まる。
9月4日、金価格が史上最高値(1,895ドル)を更新。
ゴールドショップ仙台店が東二番丁スクエアへ移転し、リニューアルオープン。
2013年
(平成25年)
  MJC名古屋店が閉店。
金・プラチナ・銀積立「マイ・ゴールドパートナー」発売開始。
ゴールドショップ名古屋店が中区錦へ移転し、リニューアルオープン。
2014年
(平成26年)
  MJC大阪店が閉店。
ゴールドショップ大阪店、フロアを大幅に拡張し、リニューアルオープン。

※販売終了している商品もございます。

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