豊島逸夫の手帖

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元スイス銀行ディーラーの告白

2005年12月5日

1980年1月、筆者はスイス銀行の外為、貴金属部門トレーディングルームで働いていた。30歳そこそこの血気盛んなディーラーであった。モニターに映る金価格は5ドル、10ドル刻みで上げてゆく。外電には"金価格1,000ドル時代近し"の見出しが躍る。筆者もその熱気に飲み込まれていた。700ドルをつけたとき、自己裁量ポジションで買いを入れ、更に、顧客にも買いを勧めた。その後、あっという間に800ドル台乗せ。それが、結局、史上最高値となろうとは思うすべもなく、1,000ドルを確信して、売り手仕舞いせず、"待て"の姿勢を貫いた。ほどなく、価格は600ドルへ急落。1オンスあたり100ドル近い損切りを余儀なくされ、顧客にも平身低頭。

後から思えば、私の隣の女性カスタマーディーラー(顧客担当)のデスクには、赤色の買い伝票(未だコンピューター化以前の話なのだ)とともに、青色の売り伝票が5倍くらいの枚数溜まっていた。全世界からの顧客の売り戻し注文である。お蔵に眠っていた金製品などが、世界中から雲霞の如く出てきていたのだ。一件当たりの量は数十グラムからせいぜい一キロ。対するオイルマネーの買いはトン単位。筆者は、売り注文の波に気付きながらも、たかをくくっていた。注文の規模の桁が違うさ...と思いながら。(後から思えば、隣席の彼女は、青伝の山を束にしながら、"BUY"と叫び続ける私に不安げな眼差しを送っていたっけ。)

ほどなくして、オイルマネーの大口買いは一巡。NY先物買いも一服するや、小口だけれども無数の売り(これは現物の売りっぱなし)が明らかにボディーブローのように効いてきた。それを敏感に察したNYの同僚は我先にと売り手仕舞いに走り出す。それは、台風の(買い)の嵐がピークに達したところで、突然、目に入り、静寂が支配したかと思うや、今度は(売り)の嵐が吹き始めるという体験だった。

教訓。プロの買いや先物の買いは短命、すぐに売り手仕舞いされる、ゼロサムゲーム。それに対し、一般顧客の現物売り戻しは、売りっぱなし。プロや先物は短期のノックアウトパンチ的威力を持つが、15ラウンド戦って、最後に判定勝ちするのは世界的な個人投資家という大集団なのだ。トレンドは現物が創る、素人の売買をなめてはいけない、謙虚にマーケットの静かな底流に耳を傾けよというのが教訓であった。

時は移り、2005年12月。トレーディングルームがコンピューター化され、デリバティブの動きが幅を利かせる。しかし、相場の原則は変わらない。

たしかに、1980年とは比べ物にはならないビッグ&ホットマネーが流入している。しかし、その殆どは、1週間から3ヶ月以内に益出し、又は、損切を迫られるポジションである。過剰流動性の循環物色といえようか。

いま、市場では急速に史上最高値更新説が拡がっている。筆者は、以前からセミナーでもその可能性には懐疑的と言ってきたし、その考えは今も変わらない。けれども、最近の筆者の読み違えは、殆ど、下げを過大に、上げは控えめに見すぎている傾向が顕著ゆえ、100%の自信はない。しかしながら、これだけは言える。たとえ、900ドル、1,000ドルになったにしても、その水準が持続される可能性は極めて低いということだ。

筆者は、不透明な将来に対するヘッジとしての金長期保有には勿論大賛成である。金価格はそう下がりそうにはないから、今から徐々に買い溜めてゆくべきだと思う。但し、奇跡を期待してはいけない。そう自分に言い聞かせても、人間というのは欲という悪魔に実に脆い。今、金買って、冬眠状態に入り、5年後に目覚めるという芸当ができたらいいのだが...。

2005年