豊島逸夫の手帖

Page158

質への逃避

2006年5月30日

今朝は前日のNY休日ゆえ、つれづれなるままにブログモードで。

世界的に投資家のリスク許容度が萎縮し、商品、エマージング(開発途上国)含む株全般から債券へ、質への逃避が進行中というのがここにきての専らの論調である。

金について言えば、金=商品=投機=リスキーという固定観念ができ上がっている。報道などでも、枕詞のように"金市場に投機マネー流入"とか"金価格の投機的変動"とされる。

でも、質への逃避というけれど、巨額の赤字を抱えた国の発行する借金の証文=国債と、誰の債務でもない独自の価値を持つ金と、どちらの質が逃避先として安全なのだろうかね。

投機的といっても株やドルにも価格変動リスクがある。大事なのは、その価格変動のベクトルの方向性だ。株、ドルとは独立した価格変動をするところにリスクヘッジ資産としての金の本来の意味がある。

金はリスキーというが、今、金を買い上げている欧米年金基金の発想は、金を組み込まないポートフォリオこそ、インフレに対して無防備で裸でリスキーだという考えだ。

どうも最近の論調を見ていると、書いている人達がちゃんと勉強しているのか疑わしくなる。

さて、先週末は大手町で日本を代表するゴールドディーラー池水氏と掛け合いトーク。彼が最後のゴールドディーラーとも言われるのは、今や職人的なスペシャリストとしてゴールドを長く売買してきたプロが数少なくなったということだ。元債券トレーダー 現在金ディーラー、いづれ異動で外為ディーラーなどという具合に金融の世界からの腰掛組が圧倒的に増えてきた。

当日の200名の聴衆の半分は団塊シニア層と思しき個人投資家たち。なかにはわざわざ宮城、福島から駆けつけてきてくださった方々もおられた。あとは、明らかにギョーカイ関係と思われる背広姿の若い連中が4-5名のグループ単位で。上司に勉強してこいと突っつかれたのか、土曜日の午後なのにご苦労さんでした。

全く異なるセグメントが混じった場でハナシすると、反応の違いも際立つ。例えば、インフレって怖いよね、と話すときの筆者は団塊の世代の一人のおじさんの立場でしみじみ語るのだが、同世代の聴衆はそのとおりと共感してくれる。でも、若い人達は、そんなもんかな、といまいちピンときていない様子がありあり。目が泳いでいる。そうだよね、筆者だって若い時にインフレと言われても、そうなれば給料だって上がるんだろう、くらいにしか思わなかったもの。

金投資に求めるものも、若い人達はまずリターン、収益。シニア層は守りの保全機能。かたやbuy and sell. かたやbuy and hold.(勿論リターン志向の強い、やる気むんむんオジサンも多いけどね。)

明日は、大阪で日経プラスワンセミナー。大阪の会場の雰囲気はいつでも東京に比しホットで、"がたがた理屈はいらん。はよ、上がるか下がるか言ってや"という感じだ。ディーラー上がりのせっかち筆者のキャラにはピッタリなのだが。

ディーラーと言えば、池水氏とのトークで改めて筆者が感じたことは、自分の時代はスイスの金ディーラーといえば、自分でポジションとり相場張るのが当たり前だったが、近年はアーブ=裁定取引、つまり複数の市場にまたがって売りと買いをつなぐ手法とか、売買のマッチメークで手数料稼ぐブローカー業務が主流になっていること。

考えても見れば、筆者の頃は、リスク管理、コンプライアンスなどという言葉も無い時代であった。でも、カラダ張って、大袈裟に言えば、辞職願をトレーディングルームの机の引き出しに準備しての毎日であったな。その分、相場の面白さ、怖さもイヤッというほど味わえたが。

そういう金市場の川中での体験と、WGCでの川上(=生産者)そして川下(=ユーザー、投資家、小売業者)での体験を次世代に語り継いでゆくことが団塊の世代の仕事と認識している今日この頃である。ブログ篇、終わり。

2006年