豊島逸夫の手帖

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合成の誤謬

2007年1月23日

この言葉、合成の誤謬(ごびゅう)。Fallacy of compositionの和訳である。筆者の学生時代、教科書として使われていたポールサミュエルソンの経済学入門に出ていた用語だ。マーケットの各参加者は皆、合理的な行動をとっているのだが、それが全体としては非合理な行動になるという現象を指す。

今の外為市場のドル高現象がまさにその例であろう。市場参加者は、ドル金利5.25%、円金利(据え置かれて)0.25%という状況のなかで、金利差を求めて(或いはキャリートレードの如く"利用"して)円を売りドルを買う。ポートフォリオのリターンを高めるためには、至極当然の合理的な投資行動である。

しかるに、その買われているドルの発券国の財政は極めて不健全。市場参加者全体としては、その国の債務を当面肩代わりしてやっている形の、極めて非合理的な行動となっている。この合成の誤謬はどこまで続くのか。

ひとつ言えることは、米国サイドの政治要因がドル高を容認しないであろうということ。時あたかも、ヒラリークリントンがいよいよ大統領選に名乗りを上げた。その大統領選の一つの大きなテーマは、アウトソーシングの問題。日本では、この言葉は、企業のリストラの流れの中で業務を外部に委託して効率化を計る意味で使われる。米国では、その"外部委託"先がインドなどの外国企業になることで国内失業を生むとして、政治問題化しているのだ。アウトソーシングは国民の敵、国内産業空洞化。中産階級の危機の元凶と非難される。

そこに追い討ちを駆けるようなドル高。米国内産業の国際競争力が益々失われることは必至。その先に待ち受けるシナリオは、保護主義か、ドル安政策か。前者となれば、結果は世界的経済の縮小均衡。最悪、スタグフレーション。世界各国が自国経済保護という"合理的行動"をとる結果、全体では非合理的な結末となる。これも合成の誤謬か。

そのシナリオを嫌えば、あとはドル安志向しかない。焦点はやはり人民元。中国だって、外貨準備が一兆ドルの"臨界点"に達したところで、ついに動き始めた。

昨日のFT(フィナンシャルタイムズ)一面トップ記事は"北京、運用戦略多様化へ動く。中国の対ドル政策転換か。"

先週末、中国首相が同趣旨の発言をしたことを伝え、シンガポールやサウジアラビアのように国家資産運用専門の公的機関設立へ動くのではと観測している。

現在は、その業務を国家外為管理局(=SAFE)が担当している。筆者も北京での中国人民銀行との親睦夕食会のおり、その担当者数名と同席したことがあるが、いずれも30代と思われる米国ビジネススクール卒の切れ者揃いであった。(上席にどっしり構えた人民銀行の局長さん=ふくよかな50代女史の息子達のような感じだったな)。

金についてもかなり専門的に突っ込んできた。課長クラスが7名ほどいるそうで、一人の担当資産規模が1000-2000億ドルになるかと笑って話していたことが記憶に残っている。更に、北京の大学内には、SAFE人材新規募集の知らせが張られているという。有能な人材を相当に新規採用するようだ。

そのSAFEの運用多様化とは、勿論、7割を占めるといわれるドルからの分散である。ここで注目されるのはユーロなどと並んで、不良債権をかかえる銀行への注入資本、更に"原材料などの資源購入"などが検討されている模様とのことだ。(うーむ、一兆ドルの外貨準備をバックに資源獲得ウオーズ参入か...。)

中国サイドを見ても、米国内のムードを見ても、ドル高をこのまま放置する気配はない。

2007年