豊島逸夫の手帖

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良いドル高、悪いドル高

2008年9月12日

ドル安とドル不安は違うよ、とこれまで筆者は語ってきた。ドル安というのは、外国為替市場でドルが他通貨との相対的比較で悪いと判断され売られること。その場合、米国経済が構造的に悪化したと評価される場合と、他国経済が改善した場合に分かれる。あるいは、金利差がドル金利に先安感が強まるとドル安になる。

ところが、ドル不安というのは、他国経済の状況如何に関わらず、米国経済に(相対的ではなく)絶対的な不安要因が認識される状態である。それゆえに、ドル不安なのだが、ドル安ではない、という状況も生じる。それが正に今の外為市場の実態である。メイドインアメリカのサブプライム禍は、震源地の米国より、大西洋を渡る津波となってEU経済圏のほうにより大きな被害を及ぼす結果となった。そこで、相対的に米国経済のほうがマシという評価でドルが買われている。

ドルに最も敏感に反応する金価格も、足元ではドル高―金売りの津波に襲われている。それでは、世界の投資家はドルの発行元、米国経済が構造的に改善されたと感じているかと言えば、その答えは明らかに"NO"である。改善どころか、不動産市場に底打ちの気配は感じられず、金融不安は激化するばかり。

昨晩のNY株式市場は、リーマン、ワシントンミューチュアル(WAMU)、AIGの3社の材料の出方次第で乱高下した。この3社は、それぞれ投資銀行、預金貸出の商業銀行、そして保険会社である。金融不安拡大の象徴的現象だ。リーマンは3ドル、WAMUは2ドルの株価の金融機関となってしまった。

それでもドルは、ユーロ売りの余波で買われる。良いドル高と悪いドル高を弁別する必要があろう。今の金安が、悪いドル高の影響が最も強いと解釈すれば、早晩ドル安、金高に転じる確率は極めて高い。

しかし、問題は原油安だ。このまま原油安が続けば、インフレ懸念は後退し、インフレヘッジとしての金買いは鎮静化する。さらに、原油安と株安が同時進行しているので、ヘッジファンドは株にも行けず、商品にも行けず、債券はサブプライム不安ということで、行き場を完全に失った。9月5日付け"政治も経済も空白期"に書いたように、ヘッジファンドのパフォーマンスはボロボロである。

加速する解約請求に応じるために、キャッシュポジションを増やさねばならぬ。売れるものから売ってゆかねばならぬ。金価格の昨日の動きなど見ていると、正にそうしたファンドのなりふり構わぬ売りが、ストップロスという形で、瞬時に大量に電子取引プラットフォームにインプットされ、価格の大台を一瞬にして突き抜ける。ディーラーたちもリスクが高すぎて売り値買い値を張れなくなる。市場の流動性は薄れ、値だけ乱れ飛ぶ展開となる。昨夕も750ドルの画面を見ていたとき電話が鳴り、ちょっと話し込み、次に画面をみたら739ドルになっていた。

昨日も本欄に書いたけど、たしかに2週間前に筆者は750ドルと喋った。が、これほどの急な下げを想定していた発言ではなかった。そもそも相場の下げにも、良性の下げと悪性の下げがある。急騰した相場に調整が入り、徐々にweak longと言われる浮動株主的な買い手が売り手仕舞って、安定株主の買い持ちだけが残ってゆく型の売りは良性である。

ところが売りが売りを呼ぶ連鎖で、毎日のように相場の下値抵抗線が突破されてゆくような型の下げは悪性である。安定株主までが不安を感じ、売りに出るようになる。長期保有の指標である金ETFの残高も一時は800トンを軽く越えていたが、昨日は767トンにまで急減している。

アジア中東の現物市場も、基本的には活況で現物品薄状態が続き、香港渡しのロコロンドンに対するプレミアムも2ドル、ドバイ渡しも1.20ドルに跳ね上がっているが、昨日のアジア時間帯にうちの香港に聞いたら、"今日はあまりの急落ぶりに実需家も模様眺めに転じている"とのことだった。どんなに価格が安くなっても、その安くなる過程が急激だと、買い手も警戒感を強めるものだ。

話を原油安に戻すが、世界景気後退の連鎖という要因は、金の商品としての需要にはマイナス効果である。しかし、その連鎖が金融不安を激化させればマネーとしての金は信用リスクのヘッジとして買われる。さらに、ドル不安という潮流は変わっていない。

足元ではファンドの換金売りが圧倒的な影響力を持つが、それが一巡すればアジア中東の実需がジワジワとボディーブローのように効いてくることも過去の経験で何度も実証済みである。

さらに筆者の注目点はFOMC。ここまで金融不安が再燃し、原油価格が下落すれば、インフレ警戒モードから危機回避、成長維持モードに軸足を移すことはもはや必定ではないか。

金利を生まない金は、とにかく金利動向には極めて敏感に反応する。FRBの次の一手が利下げというような観測が支配的になるときが、ドル高金安の流れの大きな転換点になろう。

2008年7月3日付け"風雲急を告げる2008年第3ラウンド"で下記のように書いたが、筆者のマクロ経済の見方は米国経済のW字型シナリオも利下げ転換説も、現在も変わっておりません。以下引用。

本欄では繰り返し述べてきたことだが、リーマンのケースも、これまでのウオール街のビジネスモデルが最早行き詰まったことを示唆している。例えば、投資銀行の運用レバレッジは平均32倍という。さらに、デリバティブ商品の組成販売から生じるリスクのヘッジを投資銀行がお互いに掛け合っている構造。それだけ相互依存の構造になっており、所謂システミック リスクは厳に存在する。彼らは、これまでクリエイティブ イノヴェーションをキーワードに証券化新商品開発競争に凌ぎを削ってきた。(今日は横文字多すぎてゴメン。)

このビジネスモデルの根本がサブプライムにより問われているわけで、実に根は深い問題になってきた。

昨日、某通信社の方から電話取材で、今年後半のFRB利下げ再開の可能性ありとの見解に変わりませんかと念を押されたので、上述した今の切迫した状況を見るに、原油高=インフレ予防も大事だが、最後は危機回避に政策優先順位が行くと考え、"変わっておりません"と答えた。

2008年