豊島逸夫の手帖

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個人投資家と機関投資家の発想の違い

2010年9月13日

金の世界にいて、常に個人投資家と機関投資家の両方に直接的接点を持つ立場にあるのだが、そこで感じることをひとつ。

経済の危機的状況と対峙した場合の反応が全く異なる。

例えば、国債過剰発行の結末はどうなる、というような議論を想定してみよう。機関投資家は、仮に債券市場が暴落しても、そのときは「全員が桜と散る」しかあるまい、と考える。多くの機関投資家が「運用難」の中で「安全資産」と看做されている国債を大量に購入している。勝つも負けるも皆、一緒。自分だけ生き残りに走っても、もし裏目に出た場合には、たちまち被告席に立たされる。人事考課も「減点パパ」の世界であるから、余計なことはしないほうが賢明というわけだ。

対して、個人投資家は自分だけは生き残ろうと必死に考える。日本国民一丸となって桜と散るなど、まっぴらご免こうむる。財務省が個人国債のキャンペーンを有名タレント使って大々的に張れば張るほど疑心暗鬼になり、その手にはのらないぞ、と身構えるものだ。

金という「エキゾチック」な「シングル・アセット」に対する反応も、多くの機関投資家は、まずは「いかがなものか」と引く。株や外為で1億損失出しても、マーケットのコンセンサスに沿った運用であれば、責任は問われない。しかし、もし金で100万円でも損すれば、「投機に走った」と糾弾されかねない。

ところが、会議室では「いかがなものか」と冷めた態度であった人が、会議室出てエレベーターに向かう途中で、小声で「実は個人的に金に興味あるのですけど、いま買い時ですかね」と、はにかみながら聞いてきたりする。

総じて言えることは、国債を大量に抱えている機関投資家ほど「気味悪く」感じるらしく、ヘッジとしての金に興味を持つ傾向があるようだ。

ちなみに、この議論を先週、中国で問うてみたが、あちらでは「党の意向」が第一。個人投資家は、なんとか抜け道を探そうと試みる。

さて、上海も暑かったです。35度。今回の収穫は食べるほうで、雲南料理。

地理的にもミャンマーに近い調理法で、スパイスを多用。激辛から、さっぱり系のスパイスまで、変化があって、新鮮な発見でした。はまりそうな予感。

それから、新著が初版1万部、プラス、発売2日目で二刷り1万部決定となりました。前著より早いペース。それだけ市場の裾野が広がっているのでしょうね。前著が、出版界としては、おとなしいタイトルで地味だけれど、まともな金の本ということで日経出版の「イチオシ ロングセラー」になったことで、筆者も自信を持ちました。今回も派手なストーリー性はありませんが、教科書的な本として受け入れられていると感じます。

足元の相場は、ひとっ飛びで新高値更新はならず。ややモメンタム(勢い)が薄れてきた感じ。とはいえ、引き続き歴史的高値圏。

2010年