豊島逸夫の手帖

Page1718 米国、南アでの経験

2014年10月27日

筆者がダイバーシティーの問題に興味を持つようになったキッカケは、自身の20-30代に数々の「人種差別」を体験してきたからだ。

サンフランシスコの大企業を訪問した際、受付に明らかに同性愛風の青年がいた。案内役の広報女性は「わが社は、このようにリベラルなのです」と胸を張った。「さすが、サンフランシスコ」と筆者も感心した。そして、営業部、経理部と社内案内され、最後に奥まったボードルームに入ろうとしたとき、同伴の6名の同僚(全員スイス人)が入室後、私だけが呼び止められた。警備係に「サー、ここからはノン・ホワイトは入れません」と機械的に告げられたのだ。さすがに広報係が、慌てて、「いえ、問題ありません」ととりなし、その場は事なきを得た。しかし、なんとも後味悪く、米国の「建前本音のギャップ」という偽善性を垣間見た感じであった。
おそらく、筆者は多国籍企業の欧米組織の中で、唯一日本人という職場環境で働いてきたので、ホスト側も、「訪問者リスト」でうっかり日本人の存在を見逃がしたのだと思う。しかも、筆者は海外の業界では英語ニックネームのJeff Toshimaで呼ばれ、フィナンシャルタイムズに引用されるときでさえ、ItsuoではなくJeffとされるほどだ。

更に、世界有数の産金国ゆえ付き合いの深かった南アで、アパルトヘイト撤廃後、社会不安がかえって悪化し、企業の生産性も落ち込んだことを目の当たりにしてきた。
黒人政権が、エンパワーメント(empowerment)政策を標榜して、企業幹部に黒人登用を義務づけたのだが、与党ANC(アフリカ民族会議)が、明らかに党への貢献度の高い黒人を優先させる等の動きを見せたからだ。嫌気がさした白人幹部の「頭脳流出」も招いた。
格差解消のための義務化、数値化の難しさを痛感したものだ。

ちなみに、このエンパワーメントという単語は、日本の辞書で「女性が力をつけ、連帯して行動することによって自分たちの置かれた不利な状況を変えていこうとする考え方」と訳される。
ゆえに、今やアベノミクスの目玉分野となった「女性登用」の数値化についても、総論賛成ではあるが、「期限付き」だ。
結論からいえば、5-10年くらいで、ぱっと実現させ、その後は通常競争モードに戻すべきと考える。
これだけ男性優位の時代が長く続いた国ゆえ、まずは数値化で女性を入れ込む措置は理解できる。
しかし、同時に、妊娠出産育児配偶者への配慮など、能力ある女性が実力を発揮し続けられるような環境整備も急ぐべきだ。
ここを曖昧にした登用数値化で、真の女性労働力活用は望めぬ。
理想的なリクルート手段としては、特殊な例ではあるが「ブラインドテスト」による面接の事例が参考になる。
アメリカのオーケストラでは男性音楽家ばかりが採用されていたので、ブラインドテストしたところ、女性の採用が増えたというのだ。演奏能力という本質的な部分を判断基準に据え、性別を判断基準から排除すると、今より女性が増えることを示唆している。

従って、女性登用の数値化は、あくまで本来あるべき人材採用の「入口戦略」として考慮されるべき事であろう。
数値化反対派は「能力のない女性が登用されてしまう」と言う。しかし、「能力のない男性が登用されてしまう」ことが実態なのだ。以前、本欄で書いたことだが、筆者が女性幹部を多く採用したのは、組織トップとして仕事に追われ、「とにかく優秀な部下を持てば楽ができる」という発想が、本音であった。とにかく、極度の「御用繁多」状態に置かれ、必死に各ポジションに最適な人材を確保するという過程は、ブラインドテスト状況に似ている。当該人材の能力以外には関心がないのだから。
筆者が今や独立して、副代表にウーマノミクスの騎手たる女性を迎えたことも、自身の体験に基づく選択なのだ。

先月の日経ヴェリタス 筆者コラム「逸's OK」よりこの原文が編集され掲載されました。


なお、今朝の日経朝刊、三菱マテリアル広告の上に、筆者の金相場に関する記事が載っています。

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