豊島さんが語る 経済のしくみと投資哲学 003 | 2019.08.29
「年金2000万円不足」よりもっと怖い“インフレ”
Text by

豊島 逸夫

Itsuo Toshima

今最もホットな話題と言えば、7月の参議院選挙でも大きな争点となった「老後資金不足問題」ではないでしょうか。
ご存じのように、これは金融庁の審議会が提出した資料で「年金だけでは老後資金が2000万円足りない」という例をたまたま引き合いに出したところ、「2000万円」という数字だけがたまたま独り歩きして、いたずらに皆さんの不安を煽る結果になったのです。

そこで今回と次回は2回に渡り、国の年金問題についてお話します。

 

年金は物価連動のはずなのに…

 

メディアは「2000万円足りない」と騒いでいますが、私からすると「他にもっと大事なことがあるだろう」という思いです。
年金制度は政府と国民との約束事なので、制度は継続され年金が支給されるという前提で話を進めていきますが、一番のポイントは、今約束されている年金額で、皆さんが実際に受給者となる10年後・20年後・30年後にどれくらいの生活ができるのかということでしょう。
年金の“実質価値”の問題です。

老後の暮らしの支えとなる年金の金額は従来、物価に連動していました。しかし、2004年の改革で「マクロ経済スライド」という制度が導入され、これが骨抜きにされたのです。マクロ経済スライドとは、簡単に言うと、保険料を払う現役世代の人口や平均余命の伸びに合わせて年金額を抑制するというものです。

私はセミナーで、ゴルフを話題にこんなお話をすることがあります。
「今、月に5回のペースでゴルフをしています。プレーフィーは1回あたり1万円なので、月額で5万円です。健康のためにもゴルフは続けたいと思いますが、10年後に5万円の予算だと、月にどれくらいコースに出られるのでしょうね」
熟年の男性諸氏はこの話にうんうんと頷きながら、考え込んでいました。

「物価上昇=インフレ」については、世代によって認識に大きな差があります。今50代後半以上の方は、日本経済の高度成長期やバブル期を経験しています。
これに対し、40歳以下の方は物心ついた頃からずっとデフレで、物価が下がって、景気が悪くなって……という中で育ってきました。私が講演などでインフレの話をしても、「インフレになれば給料が上がっていいんじゃないですか」という具合です。彼らにとって、賃上げ以上に物価が上がるような事態は想定外なのでしょう。

私が1970年代に新卒で三菱銀行(現三菱UFJ銀行)に入行した当時、初任給は約2万円でした。それが、2018年春入社の大学卒業者の初任給は平均20万6700円※1、ほぼ10倍です。
だとすると、これから20~30年先、初任給はいったいいくらになっているのでしょう。

※1 出典:厚生労働省「賃金構造基本統計調査」<https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/18/01.html>

年金も同じです。
インフレはお金の価値が目減りすることですから、インフレが進めば、支給額は同じ月額20万円だとしても、10年後には20万円でできる暮らしのレベルが下がってしまいます。年金受給者はその分、生活をダウンサイズせざるを得ません。
現状で「2000万円」と言われている老後資金の不足分も、物価が2倍になれば「4000万円」、5倍になれば「1億円」に膨れ上がります。
皆さんは「老後資金、ひょっとしたら1億円必要かもよ」と言われてもすぐにはピンと来ないかもしれません。でも、我々初任給2万円の世代からすれば、「あるある!」なのです。

 

 

日銀の“出口戦略”次第で大インフレの足音

 

インフレに関して気になるのが、日本銀行の量的緩和政策です。
量的緩和とは言い換えれば、日銀が紙幣の発行量を増やすこと。2008年のリーマンショックは日本経済が“急性心筋梗塞”を起こしたような状態で、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められたのです。そこで、「“劇薬”を投入する必要がある」と急遽実施されたのが、大規模な量的緩和でした。
それまで、日銀と言えば「通貨の番人」であり、通貨の価値を守るのが仕事でした。ですから、印刷機をフル回転して紙幣を刷りまくるのは、当時とすれば“前代未聞”の方向転換だったわけです。

幸い、日本経済は心筋梗塞の危機からは脱しました。今は慢性の“循環器障害”といったところでしょうか。にもかかわらず、量的緩和政策は継続されています。
ばらまいたお金はどこかで回収しなければなりません。“入り口”がリーマンショックだとしたら、“出口”はどこか。丸の内や大手町の金融関係者の間で話題に上る出口と言えば、新しくオープンしたビルなどではなく、この日銀の出口戦略のことです。

人間は勝手なものですから、いつしかばらまきが当たり前という“量的緩和依存症”に陥り、いざ回収となるとショック症状を起こすのではないかという懸念が生じます。それで出口戦略問題は塩漬けにされ、日銀がこの10年間でばらまいたお金はトータルで500兆円以上※2に上りました。

※2 出典:日本銀行「マネタリーベース」<http://www.boj.or.jp/statistics/boj/other/mb/index.htm/>

ばらまいたお金は全部民間に出回っているわけではなく、銀行に留まっているものもあります。国民にばらまきの実感がないのはそのためでしょう。
とは言え銀行は融資先を模索している状態で、これからお金が染み出すように徐々に外に出ていくことも考えられます。お金の流通量が増えると、その価値が薄まり、同じレベルの生活を維持するためにかかるコストは増えていきます。
このまま量的緩和が続けば、5年後、10年後には確実にインフレになるでしょう。その結果、約束されている年金では到底生活できないという事態が起こり得るのです。

では、こうした“インフレリスク”に備えるにはどうすればいいか。それについては、次回に詳しくお話ししたいと思います。

年金は「どれくらいもらえるか」だけでなく、「インフレによる実質価値の下落」に注意すべし

Text : Itsuo Toshima, Toshiko Morita
Illustration : Damien Florebert Cuypers
Artist Management:Agent Hamyak

PROFILE

豊島逸夫
三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)入行後、スイス銀行にて国際金融業務に配属され、外国為替貴金属ディーラーとなる。チューリッヒ、ニューヨークの投資最前線でトレーダーの経験を積んだ後、金の国際機関ワールドゴールドカウンシルに入り、投資事業本部アジア・オセアニア地域担当本部長や日韓地域代表を歴任。金の第一人者となる。
2011年豊島逸夫事務所を設立。独立後は、活動範囲を拡大。自由な立場から、日経マネー、日経ヴェリタス、日経電子版などで、国際金融、マクロ経済評論などを行う。