豊島逸夫の手帖

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椅子とりゲーム

2007年8月22日

今回の騒動を見ていると、グローバリゼーションという使い古された言葉の意味を今更のように実感する。

円安で日本車に押され気味のデトロイトでリストラされた従業員が、住宅ローンを払えなくなって、融資サイドから見れば債権の焦げ付き。その債権をCDOという仕組みを使って、例えば、ドイツの銀行が購入していた。その結果、廻りまわってフランクフルトの投資家がババを引いた。

別の例では、ハンガリーのサラリーマンが低利の住宅ローンで家を建てた。低利の仕組みは、円キャリー手法。円の低金利、しかもその当時は当分続くと思われた円安を見込んだ資金調達法であった。このケースでは、日本のサラリーマンが当節はやりのFX取引に手を出して円売りドル買いに走ったことで、結果的には東欧のサラリーマンのマイホーム建設に手を貸したカタチになったわけだ。

この二つの例は、いずれも投資家のリスクを転嫁する金融手法である。CDOとかCredit Default Swap(債務不履行のリスクを転嫁する手法)などが典型的な商品だ。いま、問題になっているのは、その仕組みの透明性ということだろう。その中味が投資家はおろか、組成、販売の側(sell side)でさえも把握しきれていなかったという実態。

断っておくが、リスクの転嫁自体は悪いことではない。自己責任とか言われても困る個人投資家が、リスクをプロに被ってもらう。でもプロだって慈善団体ではないから、タダというわけにはいかない。そこで、なにがしかの"リスク引き受け料"を貰い受ける。

オプション取引の考えも同じだ。金を2500円で買った。でも価格が下がると困る。そこで、価格が下がっても2500円で業者に売り戻せるという権利を買うわけだ。

そもそもデリバティブの原点がここにある。リスクを嫌う投資家。それを引き受ける業者。さらにプロの間でも、リスクを転嫁しあいリスク分散を計る仕組みも発達した。このリスク転嫁のネットワークは、今や世界中に張り巡らされている。その結果、リスクの連鎖現象が勃発するようになった。リスクの所在も分からなくなった。

最後は誰がババを引くのか。マーケットでは椅子とりゲームが展開されている。

2007年