2007年11月22日
サブプライムという言葉が独り歩きして市場の不安心理を煽っているが、この問題の本質をいま一度冷静に考える必要があると思う。ひとことで言って、サブプライム問題は、米国経済の赤字体質のツケが廻ってきたということではないか。
米国の赤字体質とは、まず、民間部門(特に個人)の積み上げた借金。CMの文句ではないが"出かけるときは忘れずにクレジットカードを持ち歩く"過少貯蓄、過剰消費の国民性による。低所得者までもが、身の丈以上のマイホームをローンで建ててしまった。
次に、経常赤字。世界中にばら撒かれたドルが過剰流動性と化し、CDO(債務担保証券)などハイイールド(高利回り)の証券化商品を買い漁った。そして、過剰流動性の運用の仲介者として、ひたすら手数料を追求する国際金融業界。商品開発競争は証券化商品を複雑化させることにより、業界にとっての"付加価値"を膨らませた。さらに彼らのグローバルネットワークは東京の下町の信用金庫にまで及び、証券化商品は末端まで流通するに至った。リスクの国際的分散はリスクの連鎖を招く土壌を作った。
この一連の流れが臨界点に達したところで、"信用の膨張"という風船がはじけ、一転、"信用の収縮"という急性症状を引き起こした。
ただし、信用収縮という症状は冠動脈の痙攣(=狭心症)みたいなもので、血管を流れる血液(=流動性)が失われたわけではない。狭心症はニトログリセリンという薬(=緊急流動性投入)で症状が一時的に緩和される。しかし、高血圧(=過剰流動性)という根本の病因が除去されるわけではない。狭心症の根治には高脂質食物摂取を避け、適度の運動を怠らないなどのライフスタイルの変更が必要である。
同様に、サブプライム問題も、米国人の貯蓄をせず借金しても消費に走るというライフスタイルが変化しないかぎり、FRBが何度利下げしたところで、根本的解決は望めない。
大手銀行の一連の追加損失発表が一巡したところで、喉元過ぎれば熱さ忘れるのが人の常。米国債に雨宿りしているマネーも、いずれウズウズして活動を再開する。また、そうこなければ、総額2兆円のボーナスに慣れてしまったウオール街も手持ち無沙汰で困るのだ。
こう考えると、"見えざる手"の価格次第で需要供給が増減するという、人間の欲望をベースにしたアダムスミス理論の上に構築された今の経済体制に生きる限り、サブプライムの類の問題は不可避だと思う。
あのグリーンスパンさんも言っている。"人間の欲望がなくならない限り、バブルは防げない。"
ブラックマンデーから10年ごとに繰り返される金融危機。金価格の急騰も、結局、リスクプレミアムの拡大を意味するのだろう。金ETFという、金地金を買って保管するだけのウルトラパッシブの投信みたいな商品が受けるのも、時代の流れ。複雑化したデリバティブに対する反動で、投資家は"分かりやすくシンプルな"商品を求めているのだ。
信託報酬がわずか40ベーシスという、"付加価値"が低く、ギョーカイにとっては"旨み"のない商品ゆえ、営業サイドは及び腰だ。ブツブツ言いながらも、顧客囲い込みにでも使うか、というのが本音である。
サブプライムで苦い経験を味わった投資家を次に待ち構える"苦い経験"は、毎月分配という"お小遣い付き"で売ってきた大型投信かなと思っている。