2006年11月24日
―ドル円 116円台へ。東京もNYも祝日。マーケットのセンチメントも日経本紙に見出しで"ドル円方向感出ず"というような気迷い気分が支配しているタイミングでの円高。11月20日付"円キャリー津波警報"に書いた巻き戻しの第一波がやはり来たかという感じ。でもまだ序の口だと思うがね。日米の絶対的金利差という"防波堤"もなかなかに堅固で厚い。115円の防波堤を津波が超えると一気に巻き戻しが加速すると思う。
―金市場のほうは、やはり為替を見ながらの一進一退。ドル安気味のなかで じりじりと630ドル台へ進行。歩みはゆっくり慎重である。派手さはないけれども、徐々にレンジの下値を切り上げてゆく感覚がある。
―プラチナの"コップの中の嵐"は、1100ドル台で一段落。でも未だ噴火が収まったという感覚はない。こじんまりした火山の地下ではマグマが地表に出たがっている。でも、噴火があまりに激しく頻繁だと、観光客も寄り付かなくなるのだが。対岸の野次馬は増えるけどね。
―休みの間に金ETFは529トンへ3トン増加。
―米国金市場の話題は、金先物市場の主導権がNYからシカゴに移りつつあること。頑なにフロアーでの売買を守ってきたNYから、電子取引のシカゴへの取引シフトが進行中だ。NY COMEXもシカゴに買収される。その過程で、COMEX会員権に思わぬ高値がつき、消え行く市場の関係者は思わぬ巨額のボーナスを手にするというのも皮肉な話。
筆者が、スイス銀行時代にシカゴへトレイニーで派遣され、一番驚いたことは、農民の穀物ヘッジ売りに買い向かう投機家たちが、"私たちはお百姓さんの生活を安定させるための社会的役割を果たしているのだ"と胸張っていることだった。PTAで親の職業に"professional speculator"とプライド持って書き込む姿に商品先物の原点を垣間見た感じがしたものだ。その後、日本へ帰って大きな失望も味わうことになるのだが...。
それにしてもNY COMEXで、これもトレーニーで場立ちまで経験した筆者ゆえ、ノスタルジックにはなるね。殺気立つフロアーで突き飛ばされたのが縁で親友になったハーバード卒のインテリやくざのお兄さんの姿が思い浮かぶ。あの頃はスイス銀行のトレーダーも皆個人商店、個人プレーで、それぞれが相場を張って立ち向かったものだ。それゆえチューリッヒの子鬼などと呼ばれた。でも、いまやコンピュータープログラムによる売買が幅を効かせ、銀行のトレーダーも相場は張らず、コンプライアンスの締め付けも厳しくチームプレーの裁定取引主体に移行した。常にデスクの中に辞表書いて用意して働くなどという悲壮感は最早ない。皆なにやら小粒でお行儀良くまとまったところに、やや寂しさも感じてしまうのだ。皆が孔子様、修道士様ではマーケットの流動性は出てこないのだよ。勿論程度問題だけどね。