豊島逸夫の手帖

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有事の金の変遷

2006年10月30日

有事の金という言葉はセンセーショナルに使われる(或いは利用される)ことが多いので、筆者は正直あまり好んで口にする言葉ではない。今風に言い換えれば、地政学的リスクヘッジとしての金ということにでもなるのだろうか。

北朝鮮核実験の影響で、日本でもこれらの言葉をキーワードに取材に来る一般週刊誌関連のライターの方が増えてきた。個人投資家の方も、中東情勢は対岸の火事だが、北朝鮮問題となると我が身に降りかかる一大事と捉えるようだ。はっきり言って、セミナー会場での聴衆の目の色が違う。有事の金だとか地政学的要因とか言われても目が泳いでいた聴衆たちが、今や"共感"の視線を送ってくる。

そこで、筆者はできるだけ冷静にこの問題を論じ、マクロ政治経済情勢の大きな流れ=例の"鳥の目"を持って説明することにしている。使うパワーポイントスライドは以下のようなものだ。

1990年代

2000年以降

ベルリンの壁

米国同時多発テロ

平和の配当

平和の配当落ち

財政黒字

財政赤字

米国経済の黄金期

米国経済への信認低下

有事はドル

有事の金の復活

金は売却

公的金購入も


米ソ冷戦の解消は、軍事予算減少という平和の配当を産み、それを最も戦略的に活用したのが米国であった。その配当をインターネット革命への投資に振り向け、米国経済の生産性を飛躍的に向上させ、インフレなき経済成長という経済の黄金期=Goldilocks(ゴールディロックス)を実現させた。そうなると、有事に備えての国家的金保有の意味も薄れ、対外準備資産の運用といえども専らポートフォリオのリターンの最大化という、民間のファンドマネージャーの発想が優先される。仮に有事の事態になってもドルがあれば事足りるという考えだ。

そこへ降って湧いたような911の悪夢。あの事件の直後、ドル、株、債券、原油全てのマーケットが急落するなかで金だけが急騰。まさに教科書的有事の金の復活現象であった。

この直後の市場の反応は短命ではあったが、マクロの流れには構造的変化が生じた。防衛、対テロ予算などの急増による財政赤字への転換。平和の配当は消えてしまった。そこへ経常赤字悪化も同時進行し、米経済、そしてドルへの信認は急速に低下。対外準備資産における金の効用が再認識されるに至る。

金価格急騰により、中銀のポートフォリオ運用による金売りドル買いも完全に裏目に出て、イギリスでは300ドルという低価格水準での金売却による国家資産の損失の責任を問う野党の格好の批判材料になる始末。

中東アジアそしてロシアなどでは急増する外貨準備のドル離れの受け皿としての公的金購入が現実的シナリオとして論じられるに至る。

このように、大きな一連の流れを見ずして、有事の金は語れない。

筆者の個人的体験を振り返って一番印象的だったのは、2001年8月の真夏のある日に受けた取材。その記事のテーマは"有事の金は死んだ"ということだった。その一ヵ月後、同じ記者の方が再び取材に見えて、出た記事の見出しは"有事の金の復活"。

思えば、あの事件のあと、エンロン倒産、アルゼンチンの債務不履行などの"経済有事"が勃発し、更に、イラク、パレスチナ、イラン、そして北朝鮮と続くことになる。金価格グラフ(※)を改めて見ても、2001年9月という時期が、その後の長期上昇トレンドの実質的出発点となっていることが確認できる。

そして5年経って、北朝鮮という材料を媒介に、日本にも、このグローバルな投資家マインドの変遷が波及してきたようだ。

※金価格グラフ
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2006年