2006年11月30日
筆者が20年近くお付き合いいただいているFPの草分け、野田眞さんが、"金融添加物"という表現を使っている。いまの様々な投資商品の注意点を言い得て妙と思う。金の世界でもデリバティブ商品が多いが、様々な金融添加物が加味されており、元の"ゴールド"本来の味が果たしてどこまで味わえるのか疑問に感じることがある。
デリバティブというのは、そもそも投資家サイドのリスクをプロが肩代わりしてあげる仕組みで、そのリスク負担代としてなにがしかのコミッションが正当化された。こういう商品を請け負うからには、プロの側にも相当のリスクが生じるわけで、それを如何に確率的に最小限に食い止めるかというシステムを確立するために、理工系のエンジニアがリクルートされるに至る。そこまでは理解できるのだが、そのような職人気質の専門家集団が、やがて一人歩きするようになると、色々な仕組みを組み合わせることにより複雑な商品の開発にのめりこんでゆく。専門家の範疇も、物理学の博士号を持つ人材から、人間心理学のエキスパートにまで拡大する。場面は違うがそのうちにバーナンキさんのコメントの英文解釈専門に英文学者も雇用されるかもね(笑)。
彼らの商品開発の過程で、様々な金融添加物も考案される。実際、金融商品専門用語にsweetner(甘味剤)という言葉も存在するくらいだ。何らかのワラントや転換請求権などのオマケをつけて顧客のメリットを増やすという発想である。金融業界にとっては、金融添加物の開発は即ち付加価値の創造、ひらたく言えば、儲かる商品の開発を意味する。商品企画のプロの腕の見せどころでもある。そこで、最大の問題は、その添加物混入を投資家がどの程度理解しているかということ。
一般論だが、たっぷり甘味剤が入り、かなり甘く感じられる商品には用心したほうがいい。その商品の別な箇所には、プロにとっての甘味剤も同時に配合されているケースが多いからだ。また、そうでなくてはギョーカイが"儲からない"。(欧米の金利が3-5%程度のときに国際分散投資で5%以上の"配当"を維持するシニアに大人気の商品など見ていると、何らかの仕組みで元本に手をつけているんじゃないのと疑いたくなることもある。)
例えば、金ETFという商品は、ギョーカイ内では、あまり評判が芳しくない。その理由はギョーカイが"儲からない"から。ひたすら金だけを購入、保管するだけの単純な商品で、ギョーカイではウルトラ パッシブの投資信託などと言われている。これでは、運用の腕の見せ所もないし、顧客からカネも取れない。それでもこの商品が売れているのは、マーケットに蔓延する過剰なまでの運用中毒症状に対する反動かもしれない。金は、素材そのものが目新しい旬の商品なのだから、余計な味付けせずに素材の良さを楽しもうということだろう。
こういう例は他業界にもいくらでもころがっている。筆者は京都の日本料理の大ファンなのだが、最近の祇園の板さんの多くが"遊び過ぎている"。折角の旬の素材に、フュージョンだの何だのと奇をてらったような余計なことをし過ぎているのだ。ほとんどが職人の自己満足に終わっている。本当に良い素材は、余計なことせずに味わうのが一番だ。
金とて同じこと。以前、WGCが、純金積立の投資家調査を実施したことがある。一部のギョーカイ人たちのリクエストで、色々な甘味剤を施した変形純金積立に対する受容度を調べた。結果は、単純明快。最も単純なオリジナル純金積立が圧倒的支持を得た。商品開発そのものに生きがいを見出すギョーカイの自己満足の典型的一例であろう。
そういう意味では、ポートフォリオのなかの金の位置づけは、敢えて"運用しない"ことなのではないか。運用すれば、当然リターンも期待できるわけだが、運用リスクも生じる。金を単に保有し続けても、金利は生まないが、運用破綻などの信用リスクも生じない。そういう(運用シンドロームから解放された)部分が、ポートフォリオ全体の一割くらいあっても良いのではないかと思うのだ。