豊島逸夫の手帖

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WEIGHT OF MONEY(おカネの重み)

2006年1月5日

金の世界では昔から、ウエイト オブ マネーで金がとんでもなく上がると唱える人たちがいた。例えば、日本だけでも個人金融資産1400兆円の1%でも金市場に流入すれば、14兆円=金7000トン(=3年分の世界の金生産量に匹敵)の投資需要が発生するという見方である。仮に0.1%でも700トン。このほうがより現実味があるかもしれない。

いずれにせよ、このウエイト オブ マネー理論は、これまで一部のgoldbug(狂信的に金に向かう投資家の総称)のお気に入りの考えの域を出ず、極端に過ぎると異端視されてきた。それが、ここにきて、俄かに注目を浴びている。

金ETFを通じて中国の1.5年分の金需要に匹敵する量が機関投資家により、それもペーパーの先物ではなく、現物需要として吸収されるという事象が現実に出てきたからだ。

金の市場規模は、株、債券、外為などに比し、著しく小さい。そこに、欧米年金基金とか産油国などのマネーがまとまって流入すれば、金魚鉢に鯉が入り込んだようなものである。

言い方を換えれば、これまでも述べてきたが、世界的過剰流動性が金価格を未知の高度に持ち上げる可能性を否定はできない。既に銅価格においてはその傾向が顕著である。どうみても、需給ファンダメンタルズでは正当化できない価格水準が現実のものになってしまう。

金価格でいえば、1000ドル説がこれに当ろうか。そこでは500ドルとか600ドルは未だ未だ序の口とされる。筆者は個人的にはそこまでついて行けない。金市場は確かに金魚鉢だが、鯉が入って、中の水が溢れ出ても、もうひとつのポンプから使用済みの水が戻ってくる仕組みになっているからだ。二次的供給源とされるリサイクルのことである。

ただ、銅にしても、金にしても、原油にしても、インドとか中国とか、とんでもない需要のポテンシャルが顕在化するに至り、市場は、新たな状況下で需給がバランスする適正価格が一体幾らなのか、未知の領域を模索している状況であることは間違いない。

その模索の過程で、市場は勢いでオーバーシュートすることもあろう。日々の価格変動性(ボラティリティー)も当然大きくなる。足元を見ても、クリスマス前には490ドルまで急落した金価格が年明けには530ドルまで戻している。まだまだ、市場は新適正価格を求めて暗中模索状態なのだ。

でも、この暗中模索には夢がある。いったいどこまで上げれば気が済むのかという期待感で、市場のムードはアップビートである。

日本株と金は投資アドバイザーが薦める2006年の定番の感もあるが、ウエイト オブ マネーが背後に働いている点では確かに共通点があり、共存可能な現象のようだ。

2006年