豊島逸夫の手帖

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ショーミーと催促したら...

2009年3月5日

I show you=見せてあげるよ、と言って出てきた数字が1兆2千億円相当。前回書いたAIG"ショーミー相場"の続編である。サブプライム債権への保証という形で"やばい"のが、まだこれだけ残っていた。そこで、バーナンキも遂に切れた。議会証言で珍しく語気を荒げ、"過去18か月間に最も腹立たしく感じた件はAIGだ。保険会社の保有する金融商品についての規制の盲点をexploit=まんまと利用した。この会社は、堅いはずの巨大保険会社にヘッジファンドがくっついたような組織だ。"しかし、1兆2千億円"程度"か、と感じてしまう感覚のマヒが我ながら怖いね。

そしてヘッジファンドと言えば、相変わらずの解約ラッシュ。2008年12月は11兆7千億円、2009年1月は7兆4千億円も解約されたとのこと。ヘッジファンドリサーチの統計だと、2008年後期では解約が40兆円に達すると言う。これでヘッジファンドの市場規模がピークの200兆円近くから120兆円にまで激減したことになるが、それでも"過剰流動性"が膨張を始めた2001年には50兆円程度であったので、まだまだこれから70兆円縮小しても全く不思議ではない。50兆円が200兆円にまで膨れた過程はレバレッジ全盛期。それが今やディレバレッジの時代。レバが剥落すれば4分の1に縮小などアッという間だろうね。ファンドごとに見れば、選別が進み、大手でまだ体力が残っているところは顧客の信頼継続を重視し、敢えて解約凍結を解除するところもあり、また中小のファンドはまだ解約凍結を継続して清算、解散を先送りにしているところが多い。

さて、昨晩のNYはリフレ相場(reflation)で久しぶりの上げ。日経朝刊国際面に"中国 景気刺激は歳出109兆円"という見出しで全人代開幕を報じる記事が出ているが、このリフレ効果がNY証券取引所で歓迎された。上海株も6.1%高。

中国、そして米国も未曽有の規模で景気刺激へ歳出。加えて、日本も、そして、あの"お堅い"ドイツでさえ積極財政出動に動く(というか動かざるを得ない)。これだけ主要国が記録的な数字のリフレ政策を採れば当然"見かけ"の景気は回復しよう。問題は、それが一過性のカンフル剤で終わるのか、経済基盤を堅固にして長期的経済成長を実現するのか、ということだ。いくら公共工事で道路、空港を建設しても、肝腎の産業基盤が構築出来なければ、(筆者の第二の故郷福島で見たことだが)立体交差つきの農道で対向車がほとんど来ない道だけが虚しく残る結果になる。そのような事態を避けるためにオバマは経済の生産性を高める公共投資を強調するが、その実効が出るには時間がかかる。早くても来年以降であろう。

結局、リフレという言葉が示唆するところは、2009年の経済成長がW字型ということか。いったん見かけの景気は回復するが、カンフル剤の効果が切れ、(願わくは、という条件つきだが)長期的に生産性の高い経済構造が実現するまでの間には、もう一度、底を見ることになる。

なお、国際面の中国全人代記事の下に囲みでスイス前財務相がUBS会長に就任との報道。"大統領経験者の会長就任によって、UBSの経営にスイス政府が本格的に関与する可能性が出てきた。"まさに国を挙げて国策銀行死守の布陣である。とはいえ、筆者は同行出身ゆえ見えてしまうのだが、天下りの会長とライバル行から引っこ抜いたベテラン スイスバンカーCEOのコンビがうまく行くかな?

さて、昨晩は久しぶりにコモディティー関連のディーラー仲間たちと"ホームゲーム"のディナー。ずっとアウエーが続いていて、仲間の関西出身者の関西弁が乱れ飛ぶ席だったので"高校野球中の死のロードから久しぶりに甲子園に戻った阪神"の心境かな(笑)。皆、社内の地位も上がり、偉くなったが、上に行けば行くほど金融と商品の両面を担当に抱えるようになるので、"今は金しかない"という相対評価で金には強気になる傾向があると感じた。

帰りの車中で現役バリバリのディーラー君が曰く、"やっぱり利食いが一番難しいっすね。損切りはストップロスを機械的にかければ終わるけど..."全く同感。利益確定売りには常に"うべかりし利益"に対する悔いが残るから、自分の欲との戦いになるのだよね。ディーリングの売買システムは電子化されても、相場のメンタルな部分は所詮変わるものではないな、と思った次第。

足元の金は900ドル割れ寸前。まだ強気になれず。毎年2-3回、相場が急騰すると取材に来る一般紙記者氏に"豊島さんはいつも弱気ですね"と言われたから、"だって相場が下値圏にあって私が強気のときには、君たちは取材に来ないじゃないか"と切り返した。

2009年