豊島逸夫の手帖

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無理のない返済計画を

2009年10月22日

収入と支出のバランスを考えて、無理のない返済計画を。消費者金融広告ポスター等に必ず出てくる決まり文句である。このポスターをハトヤマさんの執務室にも貼ってもらいたい。ホントにどうする気?

税収が40兆円切るという時に、概算要求を95兆円から3兆円削っても大勢に影響ないでしょ。50兆円もの収入が不足していることに変わりはない。どう遣り繰りしたところで、結局、借金証文を増発する以外に、打ち出の小槌もないし、魔法の杖もない。

今回の概算要求を見て、筆者の長期的見方は決まった。あまり極端で扇情的な言葉を使うことには抵抗があるが、日本は借金地獄に陥る。米国の借金地獄は国全体として外国からカネを借りまくったわけだが、日本は国が国民からカネを借りまくるという構図だ。庶民の虎の子預金の典型の郵貯。そこで預けられたカネのほとんどが、国の借金証文で運用されていることが典型であろう。財務省が有名女性タレントを起用してキャンペーンを張る個人向け国債も然りだ。

日本には個人金融資産が1400兆円もある(ことになっている)から、これを取り崩せば国全体の借金は返済できる。そういう意味で、国のバランスシートを見れば、無理のない返済計画だと言うのかもしれない。でも、これって金遣いの荒い親が、子供たちの貯金箱をアテにするようなものじゃない?アテにされたほうは、たまったもんじゃない。今回の子供手当のツケは、間違いなく、その子供たちに廻ってゆく。当座の小遣いをくれるという国の近視眼的政策になびいてしまう国民の経済感覚の欠如が悲しい。

とにかく個人は、目先の小遣いを貰えるという話に弱い。投資の世界では、分配型投信が最たる例であろう。基準価格を大幅に割り込んでいることに気づかないのか、あるいはそれを理解するだけの金融リテラシー(読解力)がないのか、とにかく毎月分配金が貰えるという話に弱いのだ。

今年3月9日付け本欄「"お小遣い"という言葉の心地よい響き」でも書いたことだが、昨日、帰りの機中で読んだ21日付け日経新聞の「大機小機」というコラムに、「基準価格を大切にしよう」という記事が載っていた。「この1年で分配金が7%支払われたが、基準価格は18%も下落している。」「基準価格はファンドの換金価値を意味している。基準価格が下がっても、換金しなければその分は含み損として後ろ送りされる。」「分配金という語感には、達成された後の利潤が分配されたかのような響きがある。」「分配金に対する顧客の強い指向性を知る販売会社は営業政策上、毎月分配型に注力しがちである。一方、ビジネスを販売会社に依存する運用会社は、投資家の声を受けて分配金に重心を移した運用にならざるを得ない。」

個人投資家の声を受けて分配型投信販売に走る証券会社。国民の声を受けて国全体の「基準価格」には目もくれず、子供手当など「生活重視政策」を粛々とマニフェスト通りに実行して、財源は国債増発を容認する政府。トレーダーの感覚から言えば、分配型投資信託の購入者は、「知らず知らずに」巨額の株式ロング(買い持ち)ポジションを張っている。国民は、「知らず知らずに」巨額の国債ロングポジションを張っている。

悲しいことは、その本人たちにリスクテークの自覚がないことだ。この国は将来絶対良くなる、なせばなるという精神論に基づいたリスクテークなのだが、その見通しが外れた場合のヘッジが欠落している。いざとなれば、国民一丸となって桜の如く潔く散ろうという民族魂なのだとしたら、筆者はついてゆけない。国外退去することにする。このブログも外国発になるかも(笑)。いやいや 笑っている場合じゃないか。

海外出張するたびに、外から日本を改めて見ると、その危うさが際立って見えてしまうのだよね。中国だって、かなり荒っぽい政策を実行しているけど、なにせ飛ぶ鳥落とす勢いのある成長国だから、たいがい結果オーライになる。でも日本は成熟国。結果オーライになる見込みには期待できない。

日本の財政の台所を知り尽くしている元金融関連官僚に、退職後やたらに金を買いたがる人たちがいるということを以前にも書いた。筆者がゾクッとするようなエピソードである。

2009年