豊島逸夫の手帖

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インド、中国、米国―三国の思惑

2009年11月25日

先週、オバマが北京を訪問し、コキントウ主席と会談。最大の債権国中国に対して、米国内ではやり過ぎと批判されるほどの敬意を表した。その様を静かなジェラシーを持って見守っていたのがインドだ。とくに米中が共同声明の中の「南アジアの安定」に向けてコミットするという文言は、インドをいたく刺激した。

間髪を入れず、というか外交戦略的に計算された日程であろうが、今週はインドのシン首相がワシントン訪問。とくにオバマ政権初の国賓という事実に、インド人特有のしたたかさを感じる。(中国、インドの戦略的外交姿勢を見せつけられる度に、普天間問題で"Trust me私を信じて"とオバマに明言しておきながら、翌日には平気で日米合意をひっくり返すかのような発言をする日本の外交が情けなくなるのだが...。)

振り返れば、2005年に同首相がワシントンを訪問したとき、ブッシュから受けた最大のプレゼントが、印米民生用原子力開発協定であった。これはブッシュの中国封じ込め政策とも理解され、昨年印米で正式に同協定が締結されたときは、中国人民日報も印米関係に強い嫉妬を露わにした。さらに166名が死亡したムンバイのテロ事件の後、対テロリズムの旗の下に印米の絆がより固くなったことにも、中国は複雑な感情を抱いて見守っていたことであろう。そこでオバマが北京を訪問したとき、ことさらに仲の良さを見せつけるような歓迎行事を壇上で指揮するコキントウ主席の視線は多分、ニューデリー方向を向いていたと思われる。

もともと中印関係には緊張が絶えないことでもあり、米印中の三つ巴の「愛憎のもつれ」は今後も複雑化してゆくだろうが、少なくとも三国とも「愛情の手練手管」には長けた「大人の関係」である。その点、我がジャパンは、奥手と言えば可愛らしいが、外交的には「子供扱い」されても文句を言えないような歴史もあるし、また民族として国際性に欠け外交は苦手であった。要は「日本人は何を考えているか本心が分からんし、(パールハーバーのように)何をしでかすか分からん」というのが、筆者も欧米との接点で常に痛感してきた反応だ。

印中米が三つ巴で凌ぎを削るとき、普天間問題で外交的な不信感を募らせるような発言や態度を繰り返すのみでは、「少子化のなか移民も拒み 沈みゆくアジアの島国」として、ジェラシーの対象にもならない存在になってゆくばかりだ。(妬かれもしないというのも、ちとサビシイね...。)

「米軍出て行け」、「中国は脅威だ」、それで日本はアジアの中でどうするの?沖縄の基地統合により日本の軍事抑止力が低下することを、ほくそ笑んで見守っているのが北朝鮮だと思うよ。友愛精神だけでは、大人の世界には入れない。アジアの中の聖域というか修道院みたいになるほど、日本人が尊敬される高度の道徳観を持っているとも思えんし。

基地が沖縄に集中しているという悲しい現実を野党として非難するだけでなく、「国内問題」として具体的代替案を提示し納得してもらうのが新政権の務めであろう。外交的な約束を一方的に反故にすることは、「フェアー」ではない。このフェアー・プレー精神こそ、フレンドシップ(友愛)精神の基本とされる。フェアーでなければ、「やっぱり日本人は分からん」で、ジャパン・パッシング(日本素通り現象)が強まるばかり。そのツケは結局、国力の低下という形で国民に廻ってくる。外交問題と沖縄県民の不公平感を治めるという国内問題とは別の次元の話だと思うのだ。

なんか、今朝は自然にこういう方向に筆が走ってしまったねぇ。でも、普天間問題の現在の外交的対応は、日本史の教科書に載るかもしれない禍根を後世に残すような嫌な予感がしている。経済的に見ても、ドル円の外為レートで企業業績がかくも左右される国に、ヤッカミもされない「国際的無視」に耐えられるほどの余裕は無いはずだ。

2009年