豊島逸夫の手帖

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インドと南アの政情不安定

2009年4月22日

今日は南アの大統領選挙。そしてインドでは今週から来月にかけて5年ぶりの国を挙げての長丁場総選挙が始まる。金市場に身を置くと、この両国の政情には敏感になるのだが、今回の両国選挙は今週号のロンドンThe Economist誌の一番記事、二番記事にもなるほど海外の注目度は高い。

まず、インドの総選挙だが、その規模は我々日本人の想像を超える。なにせ、30の言語と6つの宗教が同居する大国である。543の議席をめぐり、7億1400万人が投票権を持つ。5段階に分かれる投票期間は4週間に及び、選挙事務局員だけで650万人。543の選挙区に300近い数の政党から4617名の候補者が立つ。投票所だけでも828,804箇所。なお、候補者の四分の一は殺人、婦女暴行、誘拐などで起訴中の身というから驚く。また、多くの候補者が、カースト制度の中で特定の階級を代表する立場にある。有権者もインドの国益より地方の利益を優先させることは日本と変わらず。

結局、政党乱立の中で連立政権が誕生するのが常なので、インドは恒常的に政治決断が後手に回り、インフラ整備などが中国に比べ大幅に遅れをとることになるのだ。今朝の日経でもインドの経済成長率が6%に鈍化と伝えられているが、このマクロ経済統計データに危機感を感じる有権者は少なく、それより"おらが町が隣町を踏み台にしても這い上がるのだ"という心理のほうが遥かに強く働く。

そして南ア。新大統領にはズマ氏が確実視されている。この人物は、現黒人政権ANCのゲリラとしてのし上がった人物で、アパルトヘイト時代には10年を牢獄で過ごした。そのような経歴から黒人層にはカリスマ的人気がある。しかし、同時に賄賂容疑で起訴され 経理担当者が15年の禁固刑をくらっている。さらに婦女暴行容疑で彼自身が起訴されたものの、後日それは取り下げられた。何故そうなったかについては不透明なままだ。当然、司法独立の原則維持に疑義がもたれる結果になっている。裁判でも、"自分はセックスの後でシャワー浴びたからエイズ感染の問題はない"などと問題発言で物議を醸した。

経済界の注目点は、白人だが国際的に信頼の厚い大蔵大臣トレバー マニュエル氏を留任させるか否かということ。同氏更迭ともなれば通貨ランドに対する信認が更に大きく揺らぐことになろう。さらにBEE(Black Economic Empowerment)と呼ばれる、経営への黒人参加を強制する法律を撤廃できるか否か。この法律は15年前に黒人の経済参加を促進するために施行されたが、その恩恵を濫用する黒人が増え、色々なスキャンダルが明るみに出て、今や経済効率を削ぐ制度となってしまった。本当に貧しい黒人にその恩恵は及ばず、一部の特権階級の黒人たちだけを潤すことになり、多くの有能な白人たちは嫌気がさして英国へ帰国するなど"頭脳流出"に拍車を掛ける結果ともなっている。著書(金を通して世界を読む)の155ページ以降に詳述した、アパルトヘイト撤廃後の南アの苦悩は依然続いている。

FXの世界では、高金利に惹かれ、南ア通貨ランド買いが一時はやったが、金の世界から見ていると、とてもランドを買える気持ちにはなれなかったことを思い出す。結局、金利というのはリスクプレミアムでもあるから、高金利ということは高リスクの国ということなのだよね。同国の金生産量も、2007年についに世界一の座を中国に譲ったが、2008年にはさらに3位にまで転落。マラソンに喩えれば、長く一位で独走していたランナーが二位に抜かれたあと、どんどん落後してゆく感じである。国内の政局ではANCが独走態勢で、一党独裁傾向が強まっている。インド同様、南アの試練も続く。

さて、話題は全く変わって、最新号日経マネーの個人投資家一万人調査白書2009年について。
筆者がプロの指南役として取材されたときに、調査結果を見せられて強く感じたことがある。それは、投資家タイプだ。
大儲けさん(大きく勝ち続けているタイプ。)
ちゃくちゃくさん(勝ち負けの波は小さく、トータルで勝っている。)
小負けさん(勝ち負けの波は小さく、トータルで負けている。)
大負けさん(大きく負け続けている。)
この結果を筆者の目で見れば、プロは"ちゃくちゃくさん"になるか、"小負けさん"になるかでサバイバルが決まる。"大儲けさん"が勝ち続けるはずもなく、"大負けさん"が負け続ければ破綻するだけで、どちらも持続性はない。"ちゃくちゃくさん"と"小負けさん"の差は紙一重だが、その一勝あるいは一敗の差は実に重い。相場の修羅場をくぐってきた身であればこそ、その小差が"沁みる"のだ。"小負けさん"だって損切りルールは守り、利益確定売りも欲張らず地道にやっていたが、いまひとつ運が味方してくれず一敗だけ負け越したという人たちも多いはずだ。この"運"を味方にできたことが、プロとして自分が生き残れた最大の理由だと、筆者自身は感じている。

2009年