豊島逸夫の手帖

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告白

2013年6月5日

身内の恥を晒すような話だが、私の父が他界したときのこと。長男として財産整理している過程で、なんと先物取引で大きな損失を出して「負の遺産」を残していたことが発覚。ガーン、という衝撃であった。同居の「経済の専門家」の息子には一切相談せず「ひっそり、こっそり」やっていたのだ。
父は典型的な日本の働き蜂サラリーマン。窓際にも耐え、ひたすら、地味な部門で働き続けた。そして60歳で定年。人生で初めて手にしたまとまった金額の退職金。「投資」とか「マーケット」とは全く無縁なキャリアだったのに、よせばいいのに、ムラムラと人生初めての「投資」で一儲けの夢に取りつかれたのだろう。それまでの忍耐一筋の人生への反動もあったと思う。「俺だってやれば出来るんだ」と周辺の人たち(含む息子)を見返してやりたい、という思いもあったようだ。
そもそも息子の私に相談などすれば、「オヤジ、止めろ!」と一蹴されることは必定だ。だから、「ひっそり、こっそり」、先物会社の「息子よりやさしくて話も聞いてくれる」セールスマンとの交際を深めていったのだろう。
そう考えてゆくと「すげなく冷たい息子」として反省大ではある。

しかし、個人的感情を捨て、冷静に個人投資家の一事例として見ると、実は、このテの話は掃いて捨てるほどある。
先日も、某大手金融機関で債券ディーラーをやっていた友人が、いざ、自分の退職金の運用となると、オタオタして「どうすればいいんだ」と頼りなげに相談に来た。
数百億、数千億円規模のマネーを日々動かしていたプロが、いざ、数千万円の自分の退職金でどの投資信託を買えばよいのか、という決断を迫られるとオロオロしてしまう。
同じプロとしてその気持ちは分かるような気もする。
インターバンク(銀行間の業者取引)で巨額のマネーを相場観に基づき売った買ったやることと、日経マネー的な「個人投資家が投資信託を選ぶ勘所」とは、およそ世界が違うのだ。
それにコンプライアンスで社員の株売買は禁じられているケースも多い。
その友人は奥さん同伴で近所の住宅街の証券会社の相談コーナーに赴き、自分の娘より若い「フィナンシャル・アドバイザー」の「指導」を受けたという。「証券口座開設書類」に恐る恐る初めて署名したそうだ。

かと思えば、想像を絶する悲惨なケースもある。
超有名企業(製造業)の元役員氏。しばらく音沙汰ないな、と思っていたら、久し振りにやつれ切った表情で姿を見せた。
曰く。元々倒産した日本の証券会社に口座を保有していた。その口座が、証券会社M&Aとともに、今は外資系投資銀行に移管された。そこで勧められたのが一口1,000万円の「ベア債」。人の良さそうな支店長の勧めで、半年で三口購入した。その後定期的に送付されてくる口座残高書類に印字されている数字が2,000万、1,500万と減ってゆき、説明を求めても、「御心配でしょうが、大丈夫ですから」という対応ばかり。本人にも損失を取り返したいという思いが強く、解約もせず持ち続けて、更に一年経った。そして郵送されてきた書類の残高が遂にゼロになったという。その後、支店長は「多忙」の一点張り。セールス担当者ともプッツリ音信が途切れたまま。
この話を延々1時間半、私の前でぶちまけ、悔しさのあまり、時に涙ぐみながら語ったものだ。
つくづく思い知らされることは、投資とは結局リスクを取ること。いまやリスクのない投資商品など(銀行預金含めて)ない。
そのリスクのスリルにひそかな憧れを抱いた私の父。仕事で毎日相場を張っていたプロは、老後の資産運用という異なるリスクの世界に戸惑う。社内で「デキる専務」として君臨した人物が、あっさりリスクの罠にはまる。

先般、金の悪徳商法の捜査のため金市場のレクチャーを受けにきた某県警刑事さんが言うには、「最近、悪徳商法にはまるのは、地元の名士といわれる県会議員、元市長、校長先生などが多い。だます側のリテラシーが高くなってきたので、なにも知らないお年寄りは逆に最初から警戒して近づかない」のだそうだ。
知識のレベルと投資の成果に正の相関関係はない。

2013年