豊島逸夫の手帖

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株高・円安の死角、米副大統領日中韓訪問

2013年12月2日

市場参加者の多くが「制限スピードをオーバー気味の感覚はあるが、高速道路の車の流れに乗って運転を続けている」ような株買い、円売りの状況だ。
相場に絶対はない、と言われるが、ひとつ絶対はある。それは「一方方向に上げ、あるいは下げ続ける相場はない」ということだ。
果たして「健全な調整」はいつ来るのか。

「国際通貨投機筋」として、スイス銀行外国為替貴金属部で12年間、投機的通貨売買の修羅場に身を置いた者としては、膨れ上がった投機的円売りポジションが「ドカ雪」に見え、「表層雪崩」を警戒してしまう。多くのファンドが円売りの「出口戦略」を模索しているのだ。特にクリスマス休暇の間も円売りポジションをキャリー(持ち)し続けることは、通常では考えにくい。
「表層雪崩」はなんらかの音などに反応して発生する。その意味で、降ってわいたような中国の防空識別圏設定が注目される。
この潜在市場要因は、「大きすぎて消化できない」材料ゆえ、現段階では織り込まれていない。ゆえに、サプライズ化の可能性も秘める。

特に、今日からバイデン副大統領が日本、中国、韓国の順で訪問する。そこでの会談次第で日中関係が「地政学的要因」として欧米市場でも意識される事態になるやもしれぬ。米国は感謝祭のお祭り気分から抜け出し、市場が現実に戻るタイミングでもある。
尖閣問題が中国の海軍に対抗して空軍も存在感を誇示する事態になると、超高速の牽制行動が、2001年の海南島における米中軍用機接触事件のような「不測の事態」を産むリスクは高まる。あの事件で「死亡」とされる中国人パイロットは「殉教のヒーロー」扱いである。
そこで東シナ海有事などが発生、或いはそのリスクが強く意識された場合だが、「株安」と「有事のドル買い=円売り」のシナリオが考えられる。
しかし、筆者が欧米通貨投機筋たちと話してみると、「リスクオフの円買い」との見方が多かった。自分たちが円売りポジションの巻き戻しのタイミングを模索しているので、円買いシナリオを選好するのだ。市場に二つの異なる予測が共存するとき、最終的にマーケットがどちらのシナリオを選択するか。それは市場参加者のポジション次第なのだ。ゆえにポジショントークともいわれる。「後講釈」を語るのはお手のものである。

さて、防空識別圏問題だが、バイデン副大統領が、北京で習近平国家主席に面と向かって厳しく非難するのか。しかし、米国債購入の最大顧客への配慮もあろう。現実的には、国際機関=ICAO(国際民間航空機関)を通じての「外交的解決」を促すことが考えられよう。
米国サイドから見た防空識別圏問題に関しては、さまざまな中国通米国人の見方が報道されている。その中で、筆者の目を引いたのは「中国人には優越感と劣等感が同居している。米国に対する劣等感が唐突な防空識別圏設定という不可解とも思える行動に走らせた。そこで米民間航空会社が中国側に飛行計画を提出したことに優越感を感じている。」というコメント。「これでわが軍の恥辱を晴らせた」との中国空軍スクランブル機パイロット談話にも、複雑な感情が透ける。
しかし、米国の多数派の見解は、日中関係の本気度、あるいはアジア地域への米国の関わり方(engagement)を試す行動との解釈である。
それにしても中国をこれほど危険な瀬戸際政策に走らせた要因は、やはり共産党が軍部をコントロールできていないことにあるのではないか。更に、海軍に遅れをとったと感じる空軍の対抗意識もあろう。
オバマ大統領にとっては、国内外で求心力を失いつつあるこの時期に、思わぬ失地奪回のチャンスがきたともいえる。対中国で日本、韓国、東南アジアが米国のもとに団結する構図が強まっているからだ。
そこでやきもちを焼いているのが北朝鮮か。
世界の目が自分たちからそれると、なんらかの気を引く行動に出るパターンがある。今回は、米国民間人の拘束そしてビデオでの謝罪放映という手を打ってきた。
懸念材料としては、北朝鮮の核問題に関して、防空識別圏をキッカケに中国が再び北朝鮮寄りのスタンスを強める可能性か。
なお、バイデン副大統領の日本でのアジェンダ(協議事項)は、防空識別圏だけではない。TPPの米国交渉団への側面支援もあろう。

なお、今週号の日経ヴェリタス19ページに金価格関連記事が出ています。私のコメントは「FRBが仮に14年前半に緩和縮小を始めたとしても、金融緩和の状態にあることにかわりなく、金の下落局面では買いが入りやすい。本格的に下落するとすれば、FRBが利上げや国債売却について時期や条件を目明示した後」。コメントの後半は、イエレン新FRBのフォワード・ガイダンスが出てから、ということです。

2013年