2019年4月23日
米国がイラン産原油全面禁輸に踏み切りました。
これまでは日本、インドなど8か国には、180日間だけイラン産原油輸入を認める過渡期的措置を取っていました。しかしその救済措置も今後は認めず、ポンぺオ国務長官は「イラン産原油はゼロ!」と強調していました。
なお、中国やロシアがこの措置には異義を唱えています。
原油価格はこの報道で急騰。
地政学的にもイランは更に強硬な態度に出るでしょうね。
以前にも書きましたが「原油市場に精通した」専門家やアナリストは多いのだが原油トレーダーは少ない。野球に例えれば、現役登録されているプレーヤーの数は減ったが、コメンテーターやコンサルタントの出場機会は増えていると言えましょうか。
特に自らリスクを取って原油を売買するトレーダーは、今や「絶滅危惧種」に近い。ドッドフランク法の影響で金融機関が自己勘定売買部門を縮小。特に原油価格の変動は国民生活を直撃するので、金融機関の投機的売買による乱高下が槍玉に挙がったのです。庶民との接点が薄い金市場は相対的に規制強化を免れた感もあることが印象的です。原油市場内で常に売値・買値を唱え売買注文を受けるマーケット・メーカーたちが退場すると、投機的価格変動が減るかと言えば現実は違います。市場の流動性が減り価格変動は増幅されてしまうのです。リスクを取るリスク・テーカーが少ない市場は投機筋の格好の標的になります。
このリスク・テーカーの代表的存在が英語で言うところのスペキュレーター(投機家)でした。
歴史的視点で見れば、そもそもシカゴで育った商品先物市場は近郷の農家が収穫時の価格を先決めヘッジするために生まれたマーケットでした。そこではヘッジ売買の相手方(カウンターパーティー)となり、自己リスクで売買注文を受けるスペキュレーターの存在が必要とされました。彼らは自らをプロフェッショナルなスペキュレーターと家族にも誇りを持って語るほどでした。自分たちがいなければ農家の衆が困るとの自負がありました。しかし、オプション取引の導入によりデリバティブ商品が続々開発され市場インフラも完備すると、単に価格変動を狙う鞘取り投機的売買が圧倒的に増えました。それが規制の対象となるや、原油トレーダーたちはリスク回避を命じられ、原油市場特有の現先スプレッドの増減を狙う裁定取引に傾注したのです。しかし、市場参加者の多くが裁定取引に徹すると市場の流動性は枯渇します。更にトレーディング部門縮小の結果、多くの原油トレーダーが転職した。中東の政府系ファンドに「身売り」したトレーダーも少なくありません。
それがトランプ大統領の規制緩和で蘇るかと思われましたが、一旦火を落とした溶鉱炉と同じく再生は容易ではありません。そのコストを正当化する収益性も見込めません。
これが原油市場に「専門家」は多いが現役プレーヤーが少ない背景です。数少ない独立系原油ディーラーたちが石油輸出国機構(OPEC)総会のウィーン市内でサウジアラビアに招かれ「ミーティング」に参加することも恒例行事となっています。そこにはギルド的習性の名残も感じられます。
一方、実際の売買は取引所フロアから電子取引に移行しました。高頻度売買の急激な成長により株・為替・債券、そして商品と「循環物色」する高頻度系トレーダーの参入も目立ちます。彼らに原油の専門知識は不要です。人口知能(AI)とチャートがあれば良いのです。相対的に旨みのある市場を探り当て投機マネーは回遊します。
これが原油価格「急騰・急落劇」の舞台裏です。
100ドル以上の三桁価格から30ドルを割り込む水準まで急落後、再び倍以上の急騰という価格乱高下は到底、需給分析だけでは説明できないボラティリティーです。限界的供給増減が価格を決めるとは言え、市場の構造的変化が価格変動を増幅させている面も無視できません。この実態は今後も変わらないでしょう。
私はニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEXで原油・金先物売買のフロアトレーダーとして働いた経験がある唯一の日本人です。OPEC、ロシア、米国が世界最大産油国の座を争う状況では、価格主導権を取るのは投機筋ということを痛感しています。
因みに、NYMEXのフロアは肉弾戦なのでスニーカー着用。私もフロアを走り廻り、アメフトの選手みたいな米国人によく突き飛ばされました。そんな付き合いの中で、ハーバード卒で親の遺産を元手に自分のリスクで相場を張るプロの投機家と仲良くなりました。まだ30歳そこそこで別荘2件、高級車3台、可愛いガールフレンド3人。まさにアメリカンドリームでしたね。私がこの世界に長居するキッカケになった出来事でした。そして米国市場のパワーを見せ付けられる思いでした。天下りの発想で、まず規制・監視ありきの日本の市場とは大違いです。最近やっと関連省庁の縄張り争いの中で総合取引所構想がまとまった段階。米国に遅れること20年!