豊島逸夫の手帖

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商品バブルは崩壊か。

2008年3月31日

このトピックについての議論が最近目立つ。筆者もこのテーマで聞かれることも多い。今週のバロンズ誌も取り上げている。

まず、結論から言うと、極論が多すぎるのだよ。バブル崩壊というと、日本経済の例を連想して、投機で上がるだけ上がった価格が、どーんと下がって、あとは"失われた10年"に低迷するというイメージである。

今の商品価格全般が、投機マネーあるいは株、債券からの逃避マネーにより実態以上に買い上がられていることに異論は無い。今後、どーんと下がる可能性についても異論は無い。

その後、"失われた10年"という低迷になるか、ということになると異論がある。

2000年前後に起こった米国のドットコムバブルが参考になろう。実体の無いハイテク企業の株が投機筋により買い上げられ、破たんした。しかし、それにより本来のハイテクそのものが、その後"失われた10年"に低迷しているであろうか。

ドットコムバブルのもうひとつの教訓は、ハイテク=技術という経営資源に、負のマネジメントスキルというマイナスの付加価値がついたことであった。要は、いい加減な経営の会社が発行した株券の価値が激減したわけだ。

対して、穀物、原油、金属などの商品は、これなくしては人間の生活、実体経済そのものが成り行かぬ必需品である。食料、経済のインフラなど最小限のモノを必要とする人口は世界で年間8000万人増加中である。少子化の日本に居るとピンとこないが、中国の街中を歩くと実感することだ。

グルメの食材とか、億ションに使われる素材価格が数倍に跳ね上がるという話なら別だが、中国、インドの23億人の人たちが、贅沢ではなく最低限の生活を営むだけでもどれだけのエネルギー、素材が必要なことか。つまり、基礎的素材である商品の価格が、今後10年"失われた道"を歩むなどという状況はまずもって考えにくい。

ただ、その商品自体の保有には全く興味ないが、その価格変動でひと儲けを目論む輩が増えて、その部分ばかりにメディアの関心も集まっているのだと感じる。実体の無いドットコム関連ペーパーカンパニー同様に、ペーパーゴールドも多い。この識別も大事なことだ。

本欄2月7日付"21世紀の新たな価値観"で述べたことだが、今や、ヒトの値段(=賃金)は景気回復しても、株主優先でそれほど上がる時代ではない。カネの値段(=金利)も世界的金余り(過剰流動性)ゆえ それほど上がる時代ではない。代わって、びっくりするほど良い値がつくものが二つ。技術と資源である。

そして、最後は人間の"心"。癒しを求める現代のトレンドは、感情価値(センチメンタル バリュー)の重要性も示唆している。

筆者は金の価値の原点として、セミナーで常に"スイスの女の赤ちゃん"のエピソードを語る。可愛い子供のために毎年、誕生日に金貨を1枚ずつ買ってアルバムに貼り、同時に誕生日の記念写真も貼ってゆく。嫁ぐ頃には20-30枚(あるいは40枚??)の金貨と記念写真で分厚くなったアルバム。それを嫁ぐ前の晩に、母から娘へのプレゼントとして渡す。"金貨はへそくりの原資にして、もし大変な時期があったら役立てなさい"と。これが まさに"有事の金"の原点なのだ。そのアルバムに張られたものが仮に(これからはなくなるが)株券とか国債であったらどうだろうか。

いま、高値で激減している世界一の金消費国インドの金需要も、その大宗は"花嫁の持参金=持参ゴールド"である。可愛い娘のために花嫁の父が奮発するもの。最近のインドのブログの書き込みには、"金価格が下がってホッ"という花嫁の父の本音が綴られている。

金貨というのは冷たい金属だけれど、子を思う親の気持ちを伝える"暖かい"素材でもある。金の価値=素材価値+感情価値。どうも"勘定価値"ばかりに目が行きがちなのだが、今一度原点に戻って考えてみましょう。

2008年