豊島逸夫の手帖

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スイス メガバンクの凋落

2008年4月22日

昨日の本欄で"老舗の欧米銀行証券会社が、兆円単位の損失を連発すること自体、どこをどうすれば、そんなに損失が出るの、という素朴な疑問が残る"と書いたが、その疑問に答える記事がFT(フィナンシャル タイムズ)に載った。15段全面を使った特集記事なのだが、筆者の目を引いたのは、まずイラストであった。なんと筆者が12年間働いたスイス銀行のスリーキー(三つの鍵)マークが錆びついている絵である。スイス三大銀行のスイス銀行(SBC)は、スイスユニオン銀行(UBS)と合併し、名前はUBS、マークはSBCのスリーキーという組み合わせになった。そして、この記事の見出しが corroded to the core=芯まで腐食した、というキツイ言葉である。内容は欧州系でドイツ銀行と並び、最も堅実な銀行の一つとされたUBSの株価が昨年7月の70スイスフランから30スイスフランにまで暴落し、昨年10月から4兆円近くの損失を計上するに到る軌跡を克明に記している。(今朝の日経でも短く報道されているが)。

事の発端は、10年前のLTCMヘッジファンド破たんに遡る。この事件を教訓に、UBSは内部リスク監視体制を見直した。看板のプラーベートバンキング部門で、世界の富裕層から預かったマネーを運用する責任体制を強化したのだが、そこには盲点があった。クレジットリスク、すなわち破たんリスク回避を強調するあまり、マーケットリスク、すなわち保有資産価値変動リスクの面が疎かにされたのだ。さらに、富裕層から運用を任されるという形で安価な資金調達が出来たために、行内のリスク意識が薄れがちとなった。時を同じくして、マーケットはヘッジファンドが華々しい成果を上げ始め、"堅実"なUBS行内には、他行に遅れをとったとの焦りも生じる。

そこで当時(2004年)のCEO(大手コンサル会社マッキンゼー出身)が取った方策は、古巣のマッキンゼーに新たなビジネスモデルを作らせること。それは、自己リスクではなく、顧客のマネーを運用する形で行内に自前のヘッジファンドを組成するというアイデアであった。その結立ちあげたファンドが、ディロン リード キャピタル マネジメント(略称DRCM)。行内で稼ぎ頭として君臨し、モルガンスタンレーに引き抜かれそうになった花形ファンドマネージャーを口説き、思いとどまらせ、結果、彼のいいようにやらせることになった。当初のビジネスモデルとは異なり、顧客マネー13億ドルに対し、UBSが30億ドル出資。さらにUBSの負担でレバレッジを掛け、全体の運用規模は600億ドルに膨らむ。

そこで運用方針として、新興国、コモディティー(商品)、そして証券化商品の三本柱が選ばれる。とくにUBSは、株式ではリードしていたが、債券部門で遅れをとったという焦りがあり、証券化商品に深入りすることになる。なかでも(いまやお馴染みとなった)CDOに多額の資金を突っ込む。ここで当時のUBSリスクマネジメント モデルに大きな落とし穴があった。CDOでも"スーパー シニア"と言われるトリプルAの部分に細工をして、完璧な"ノーリスク"とのふれ込みの商品を組成したのだが、そこでの落とし穴とは、トリプルAの行内での定義。それは市場価値が2%以上は下落しない、というもの。そこで、さらにその2%のリスクも除去し"完璧"なノーリスクにするために、2%のリスクをヘッジするデリバティブを購入した。これで行内のリスクコントロールは全てパスすることになる。

当初は順調に成長したファンドだが、2007年2月に突如生じた事件から 歯車が逆回転を始める。それは筆者も克明に覚えていることで、本欄2007年2月9日付け "米住宅市場に異変の兆し"として、"大手銀行HSBCがサブプライムという当時初耳の債券の貸し倒れ引当金を17億ドル積み増した"と書いた一件であった。当時、サブプライムなどと言っても、"また豊島が訳の分らん英語を振り回しているな"程度にしか見られなかったことを記憶している。

このHSBCの決断はUBSにとってショックだったようで、DRCM幹部は直ちにサブプライムCDOの1億ドル程度を恐る恐る試しに市場に売りに出してみた。結果は、即日、明らかに。ついた値段は半値の5000万ドルであった。このショッキングな実態は、やがてUBS幹部の知るところとなり、直ちにDGCMは解散。

ここに到る過程でさらにショッキングなことは、同様の商品にUBS自体の債券部門と財務部門も投資していたこと。そしてサブプライムの包蔵する本当のリスクを担当者も上層部も"知らなかった"ということ。色々な証券化商品をちょこまかと運用してリターンを上げることに執着するあまり、"砂浜で顕微鏡を使って砂粒を観察していたところを、津波に襲われた"(当時の担当者の述懐)結果になったのだ。銀行の取締役に銀行出身者が一人もいなかったということも驚きである。UBSはスイスの国策銀行みたいなステータスなので、スイス フィアット会長とか財界の重鎮が社外重役として幅を利かせる伝統は筆者も感じたことがある。

金融素人集団のボードは怖いもので、2007年6月にサブプライムが顕在化した後も、取締役会をバルセロナのアメリカズ カップ(UBSスポンサー)見物も兼ねて開催。決定された事後処理策は、"沈みゆくタイタニックの甲板一面にこぼれたミルクを、一生懸命モップで洗い流す"(これも当時の幹部の述懐)ようなものであったという。

彼らのとった運用方針は、例えば"サブプライムが悪化すれば新興国株式市場も下落するから、それらエマージングをショート=空売りすればよい"というもの。当時の結果が完全な逆目に出たことはご存じの通り。

なんだか、筆者も書いているうちに、元SBCの人間として情けなくなってきたので、もうこれ以上書くのは止める。FTはいろいろ実名を挙げているけど それは引用したくない。

新任の会長は、同じFTの4月16日付け一面トップ記事のインタビューで、"蒙ったレピュテ―ションリスク=落ちた評判を復活させるに3年はかかる"と明言。ちなみに彼は弁護士出身。でもボードに銀行生え抜きが2名は入ったという。スイス国立銀行も財界も全面的に新体制を支持。これを信じられれば "サブプラ不安、最悪期を脱した"ということになるのだろうが...。

2008年