豊島逸夫の手帖

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今週大儲けした人

2008年9月11日

ファニー&フレディーのGSE2機関の公的救済に踏み切ったポールセン財務長官の手法は、同機関の発行した債券の保護は厚く、株券の保護は薄くというものであった。エージェンシーものと言われるGSE債は世界中の中央銀行や政府系ファンドが保有しているので、米政府のメンツにかけて損はさせない。でも、株主の諸君には株主責任をとってもらうよ、一応保護の対象にはしてあげるけど優先順位は最下位だ。という姿勢である。

ここを読み切って大儲けしたのが"債券王"ビル グロス氏率いるピムコ社である。同社のピムコ トータル リターン ファンドは今週月曜日に、1日で17億ドル(1.3%)という過去最大の上昇を記録。総運用資産1320億ドルという、このメガ債券ファンドは、一貫して米国債と社債から住宅関連エージェンシーものへシフトして、後者が6割を占めるまでになった。その間、債券市場のオピニオンリーダーでもあるグロス氏は、financial tsunami(金融津波)を回避するためにはGSEの公的救済が必要と声高に主張していた。結果的にはエージェンシーものに対する"暗黙の政府保証"は"具体的な政府保証"となり、米国債とも大して変わらないほどの扱いを受けるに至った。

GSEにカネを貸していた債権者(ファンド)は保護され大儲け。出資していた株主はペナルティーを受け出資していた株式ファンドは大損。これがゴールドマンサックス元CEOのポールセン流救済である。

そしてリーマン。白馬に乗って同社の資本増強を援助に駆けつける救いの騎士は、遂に現れなかった。韓国開発銀行、野村証券、三菱UFJ。サブプライム汚染症状が比較的軽い日韓地域から色々名前は出たけれど交渉はまとまらず。これまでシティーやメリルなどに巨額の資金を入れてきた中東アジア系政府ファンドも、今回は音無しの構え。そりゃ無理ないわな。彼らの米系大手金融機関へのこれまでの出資は全て大赤字なのだから。だからこそ米国政府代表のポールセン氏も、GSEについては"今回は、御損はさせません"と、ミエを切るしかなかったのであろう。

でも、アジア中東系ファンドは今や猜疑心の塊になっている。最初のうちは、いまや新興国の時代!苦境に喘ぐ米国金融市場を救えるのは君たちだけ、とおだてられ木にも登ったけど、見事に梯子を外された。

日本政府の"貯蓄から投資へ"の掛声に励まされた初心者の投資家がいきなり高い授業料払わされて、シーンとしてしまったのと同じだ。

政府系ファンドも日本の初心者投資家も、分散投資するという姿勢は間違っているとは思わないのだけど、なんせ、マーケットの流れの変化が速すぎる。市場のセンチメントが朝方は"楽観"、午後3時ごろには"総悲観"というように6時間で180度変わる。そこにはコンピューター化された運用手法(ソフトウエア)と売買手法(ハードウエア)の普及浸透により、同方向に偏りがちな大量の売買をミリ秒単位で捌くようになったマーケットの変貌がある。この市場内部の構造変化により、今やプロでもついてゆけない価格変動になってしまった。

かくいう筆者でも、2週間前に東洋経済の取材を受けた時、目先750ドルと語ったけど、それも秋口にかけて、という見通しであった。(メールでディーラー仲間に今日750ドルと喋ったよ、と話したら、エッ、豊島さん、えらく弱気な発言しているね、と驚かれたけど)。それが、掲載紙が発行された今週には、すでに750ドル台を割り込もうかという水準である。どうみてもアンダーシュートであるが、とにかく逃げ遅れ全身傷だらけの投機マネーが"戻り売り"。ちょっと価格が反騰すれば、すかさず売って相場の頭を叩く。それも電子取引プラットフォームがフリーズするのではないか、と思われるような大量の売りを瞬時に入れるからビッグフィギャー(相場の桁)が階段状に転げ落ちる。

思い起こせば3月の1000ドルの時も、同じような内部市場環境であった。あのまま勢いでどんどん上に行くような錯覚を覚えた。でも結果はオーバーシュートであった。

相場というものの難しいところは、あまり近くに距離を置くと 今が天井とか大底とかの高度の感覚がマヒしてしまうことだ。飛行機が上空を飛んでいるとき、下から見ていると、ああ富士山と同じくらいの高さで飛んでいるなと判別できるけど、機内の乗客で通路側に座っていれば、現在の高度など全く分らない。居眠りして、突然ガタガタ揺れて、ああ着陸したと分かることもしばしばだ。

日本語には岡目八目という格言がある。筆者も多少の心得はあるが、碁を観戦する者は、勝負の当事者より八目多く獲れると言う。

今週末は三連休の方々も多いだろうから、少し距離を置くには良い機会かも。その初日に日経ホールの日経プラスワンセミナーで講演しますが、特に今回は岡目八目の精神で語りたいと思います。

2008年