豊島逸夫の手帖

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リスボンで聞く 日本への警鐘

2012年1月30日

1755年11月1日、ポルトガルの首都リスボンは、推定震度8.5-9クラスの大地震に見舞われ、津波と火災により6万人前後の死者を出し、街全体が破壊された。
引き波の後の押し波は、15メートルに達したという。震災後の略奪を抑止するため、丘の上に絞首刑を設け、見せしめにしたというから驚く。
15世紀に、エンリケ航海王子の登場で幕を開けたポルトガルの黄金期=大航海時代も、この大震災で勢いを削がれ、同国は、現在に至る250年間の長い国力衰退の道を歩むことになる。
しかも、直近では第二の大津波ともいえる欧州財政危機に襲われ、更に経済が疲弊している。
これは、日本人にとっても他人事ではない。
そもそもポルトガル人は、鉄砲、ガラス、タバコ、靴下などを、日本へ最初に持ち込み、西洋文明の紹介役として日本人にとって先達となった。そして、今や、再び日本へ向け教訓を発している。
リスボン大震災は、国内の政治混迷を招き、貿易国家から内需主導型経済への転換に失敗。失われた時間は、10年どころか250年。更に、国債暴落が、とどめを刺している。
近年の経済政策も、長期戦略的ビジョンを欠く。リスボン近くのロカ岬は、ユーラシア大陸の最西端。地政学的に、同国は重要な位置を占める。欧州大陸、ブラジルなど南米、そして北アフリカといずれも伝統的に緊密な関係を保ってきたゆえ、その優位性を生かし、例えば、地域ハブ空港建設を大々的に推進することも出来たはずだ。
この事は、最東端の日本にとっても示唆的であろう。
そして、ポルトガル国債の利回り15%超え。
自国の国債が、なぜかくまで売り込まれるのか。現地の人たちは、キツネにつままれたような思いで見守っている。特に不動産バブルを経験したわけでもない。リスボン郊外を歩いてみても、スペインの首都マドリッドに散在する、工事中断のままの大型商業施設などを目にすることはない。
他にも、国民が競ってマネーゲームに走った痕跡は薄い。
歴史的遺跡をリゾートとして売り出すより、自国文化保存に力を入れてきた国柄である。
スペインの地中海岸コスタ・デル・ソルでは、リゾート開発のバブルの跡が生々しく残るが、大西洋岸のポルトガルは、遅れを取ったことが幸いしたようでもある。
国の資金繰りも2013年までは、EU・IMF援助により目途はついている。
しかし、市場は容赦しない。その後の資金調達の懸念を先取りして、ポルトガル国債の売りに走っている。
日本国債も、これまでの国内消化依存の「温室育ち」から、いずれチャイナ・マネーの買い支えに頼らざるを得ず、欧米市場という外海で投機的売りの大波に晒される状況になれば、ポルトガルの例も他人事ではなくなる。
ポルトガルの問題に戻れば、"自国通貨を捨て、地域共同通貨ユーロを導入したことが間違いだったのか"、国民が自問自答しているようでもある。
ユーロ圏に入れば、「ヒト、モノ、カネの移動が域内で自由化」され、労働力の安いポルトガルには、"ドイツ・フランスなどから大工場が競って進出する"はずであった。"資本移動も国境を越え規制が撤廃されれば、投資資金が潤沢に流入する"はずであった。"モノの移動が活性化されれば特産の鱈などの水産物や靴製品なども流通が域内で拡大する"はずであった。
しかし、蓋を開けてみれば、大工場建設や自国製品輸出は新興国に持って行かれ、カネも直接投資は伸びず、ヘッジファンドの投機マネーがポルトガル国債を売買するばかり。ヒトの動きも自由化されたが、「頭脳流出」を加速させる結果になっている。
ポルトガルの国全体が域内の「過疎地域」化しつつあるのだ。

厳しい事を書いてきたが、現地が国の破たん寸前で荒廃しているわけではない。多くの国民は日々の生活を切り詰めつつ、静かにつつましく普段どおりの生活を営んでいる。日曜の大型ショッピング・モールも賑わっている。美しい景色も変わらない。リスボン郊外の世界遺産「シントラ」には、天正遣欧少年使節団4名が16世紀に滞在した僧院や離宮が保存され、海抜500メートルの山上には装飾を凝らせた「ぺナ宮」が忽然と姿を現す。
中世の城址を訪れたとき、イメージに浮かんだ光景は、城壁の外でマネーの空中戦が繰り広げられ、城内の市民にも流れ弾が飛んでくるという感じであった。
市民の常食は、鰯の塩焼きと干し鱈と質素である。ホルモン系の料理が多いのは大航海時代、長旅に出る貿易船に、ある限りの肉を供出して、残る市民は内臓を調理して凌いだ歴史の名残とのこと。
この精神が生きている限り、この国もいずれ立ち直るだろう。そう祈りつつ、次の訪問地アテネに向かった。

2012年