豊島逸夫の手帖

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3月中銀 金買い支え判明

2012年4月25日

3月に金価格が急落したが、大方(筆者も含め)の予想に反して1600ドルを割り込まなかった要因が判明した。新興国の中央銀行が、1600ドル割れ寸前で大量の金買いを入れていたのだ。昨日、IMFの統計で発表された。(各国は、外貨準備の一部として保有する公的金準備保有量をIFMに申告することになっている。申告ベースゆえ、隠れ外貨準備もあるが・・・)
さて、件の3月に、金準備増強に動いた国は以下の通り。

メキシコ 16.8 トン
ロシア 15.6
トルコ 11.5
カザフスタン 4.3
タジキスタン 0.4
べラルース 0.1


3月の金急落時に、1620ドルまで下がると、V字型の急反発を繰り返し、よほど大きな買い注文が置かれているとの噂は当時から流れており、それほどの買いを継続的に入れるのは民間ディーラーでは無理(ドッド・フランク法の余波で内部リスク管理が厳格化されているため)。となると、公的部門かとの推測も出ていたことは確か。それが、今回のIMF統計で裏付けられたことになる。

メキシコは昨年も、2月に14.8トン、3月には78.5トン、4月には5.9トンの金買いを実行しているので、今年も、その継続性(つまり4月以降も買い続けるのか)が注目されるところだ。
ロシアは2月に金準備が若干減少したので、すわ、ロシア金売却かと、売り材料として扱われたのだが、どうやら一過性の現象だったようだ。
なお、トルコは特殊なケースで、民間商業銀行への流動性供給の担保として、金が中央銀行に預託された模様。

以上が虫の目で見た、中央銀行の金準備増強の現状だが、鳥の目で俯瞰すると、大量の金売却で金価格を1999年には250ドルまで押下げた公的部門(IMF含む)が、2010年には「買い越し」に転じた。

過去10年の公的部門年間金売却量

(単位:トン)

年度 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012
1-3月期
重量 547 620 479 663 365 484 235 34 -77 -455 -43


この背景には、勿論、ドル不安、そして、ドルを売って駆け込んだユーロの不安がある。そこで、「無国籍通貨 "金"」に駆け込んできたわけだ。但し、この駆け込み寺は小寺である。収容人員も限られる。
とはいえ、「通貨大空位時代」に、金が通貨として実質的に復権しつつあることを、この統計は物語る。
思い起こせば、90年代は、欧州の主要中央銀行が相次いで金売却に走った。そこで金を売り、買った通貨が米ドルであった。イギリスの場合は、なんと290ドル前後で公的保有金の半分を売り払い、買った通貨が米ドル。結果論とはいえ、投資の世界で言うところの「往復ビンタ」。「国の資産を安値で叩き売った」と、議会の場で恰好の野党の追及材料にされた。なにせ、当時、大量金売却作戦を展開した張本人がゴードン・ブラウン氏だったのだから。
当時、欧州中央銀行が叩き売った金を、粛々と拾って買いためたのがジャパンの個人投資家たち。当時は、日本が世界最大の金投資需要国だったのだ。ロンドンのアナリストたちが首をかしげて「なんで日本はこんなときに金を買うのか」と訝り、金国際会議では質問攻めに会ったものだ。その日本人投資家は金価格1600ドル台の今、粛々と金を売り続け、金投資量が世界で最も少ないことは、4月17日付け本欄「ダントツ世界最下位の日本金投資量」に詳述したとおりだ。

さーて、目下、京都→越後湯沢→パリ→マドリッド→アテネの長期ロード中。特にスペインはジックリ経済状況を虫の目で見てくるのだ。マーケットは国債利回りとか財政赤字の対GDP比とか数字ばかりだが、その背後の実体経済の本当の姿があまり伝わってこない。市民の本音を聞きたい。アテネとパリは5月6日の同時選挙を挟んで訪問。私の最大の敵は「ゼネスト」。前回もフランクフルト空港の職員ストライキで域内航空網が破断され、結局、直前キャンセルせざるを得なかった。今回も、旅行中何があってもいいように、機内持ち込み荷物だけにとどめ、身軽に臨機応変に動ける態勢で動き回る。結果、着た切り雀状態になるけどね(笑)。
実は、オランダ情勢も気になるので、アムステルダムにも寄りたいのだけど、スケジュールがきついから、6月の訪欧に廻すかな。

2012年