豊島逸夫の手帖

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預金封鎖に怯えるアテネ市民

2015年2月17日

ギリシャ金融支援問題は、「溝が埋まらず平行線」の段階から「決裂」へと移行した。16日のユーロ圏財務相会議も、双方が「怒り」のコメントで終了。「感情的もつれ」を隠そうともしない。ギリシャ側から伝わる「債権国の植民地にはならない。」との表現がその典型だ。

これまでギリシャ・ユーロ離脱について「最終的には何らかの妥協が成立する。」との見解を支持してきた識者たちの中でも、もはや「匙を投げた。」かのような論調が増えてきた。
ポルトガル・スペイン・アイルランドの反応も、「ギリシャへの優遇措置が認められれば、正直者が損をする。」との議論から、「本当にギリシャにユーロ離脱されたら、(負の連鎖を防ぐ安全網が設立されているとはいえ、)ようやく回復の兆しが出つつある自国経済への悪影響は避けられまい。ギリシャの緊縮条件緩和もやむなし。明日は我が身。」との論調に徐々に変わっている。

この切迫感を最も強く感じているのは、ほかならぬギリシャ国民だ。
既に、特権階級や富裕層の多くは、国外への資本逃避に動いた。ギリシャ国内の銀行システムからマネーが流出すると、最終的にそのツケは「預金封鎖」というカタチで一般個人預金者が負担することになる。その具体的事例としては、隣国キプロスの金融危機がまだ鮮明に記憶に残る。
そこで、欧州中央銀行(ECB)も、ギリシャ国債担保の融資は停止したが、緊急流動性支援(ELA)は「銀行取りつけへの備え」として例外的に認めた。これとて、あくまで、ギリシャ中央銀行が民間銀行への緊急流動性供与を認める措置であり、ECBは直接的リスクを負わない。つまり、時間稼ぎ程度の意味しか持たない。

このような段階になると、個人預金者はまったく無力である。
せいぜいギリシャ国会前のシンタグマ広場で抗議集会を開くことでうっぷん晴らしに走る程度だ。
「ユーロを導入したことで、我々は甘い夢を見たのだよ。」
アテネで会った40歳の失業中男性(元技術者)のつぶやきが忘れられない。
もともとギリシャはリッチなドイツ人の避寒リゾートだった。
二国間の生活水準の差を見せつけられ、ギリシャ人たちは、溜息をついていた。
ところが、ある日突然、自国通貨ドラクマがユーロなる地域統一通貨に代わった。
憧れのドイツ車をドイツ国内並みの低金利自動車ローンで購入できるようになった。
フランクフルトに好条件の仕事があれば、そこで働くこともできる。
ユーロという「魔法の杖」で、一夜にして、ドイツ並みの生活が出来るという夢を見たのだ。
エコノミストたちも「労働資源流動化。生活水準平準化。」を謳い、「夢」を支持した。
しかし、域内国境入国審査は廃止されたが、民族性までは変えられなかった。イソップ物語風にいえば、アリ組とキリギリス組が同じ通貨圏に同居することには、経済理論を超えた文化の壁があった。
煎じ詰めれば、一緒に住めなければ、「別居」か「離婚」か、ということになるは必定。
家裁のような調停役も見当たらない。あえていえば、FOMCが「国際情勢」を意識するようになった米国のオバマ大統領くらいか。
この混乱に乗じて、ギリシャ国内で存在感を強めるロシア・中国の「地政学的リスク」は米国にとっても無視できまい。
預金封鎖の脅威にさらされた国民は、次にどこに助けを求めるのか。

筆者の視点では、ギリシャ・ユーロ離脱の南欧諸国への伝染リスクより、バルカン半島不安定化が気になる成り行きである。金価格は昨日はNY休場(プレジデンツ・デイの3連休)で小動き。1230ドル台。ギリシャ不安は買い材料でもあり、ユーロ安=ドル高で売り材料にもなり。どちらを市場が選ぶかは、そのときのポジション次第のいいとこどり。

さて、一昨日日曜の日経朝刊一面に社告が出ていましたが、
日経主催セミナー「企業価値を高める条件」(於日経ホール、3月16日開催)に登壇します。
斉藤日本取引所グループCEO、市川クレディ―スイス・チーフストラテジスト、武者陵司武者リサーチ代表とのパネルディスカッションです。↓

http://www.nikkei-events.jp/nqn/

今日の写真は、アテネのデモ隊がうっぷん晴らしに投げる「武器」は、街路樹になる石のように固いかんきつ類。

2055a.jpgそして、永田町にある都心ホテルの穴場。日本庭園があって、そこのアップルパイが最近のお気に入り。薄いパイで、ストロベリーもある。次回はそれに挑戦(笑)。地下鉄溜池山王駅直結で、距離的にはアークヒルズより駅から近いから便利。すいてるし。NY時間中心の生活ゆえ、昼間は、こういうところで、金ならぬ油を売ってるのですw

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2015年