豊島逸夫の手帖

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肩書き重視の日本

2017年10月6日


日本では金融証券関係の「専門家」は殆どが組織に属する社員です。ところが米国だと、半分程度は大手の組織の肩書きを持ちますが、一方で独立系の人間も半分くらいいます。組織に身を置くとどうしても制約があり、社の方針に従った発言しかできないということが意識されるからです。
私が独立したときも、自由に発言したい、自分の個人名だけでどこまで仕事できるものなのか試してみたいという思いが強かったのです。だから敢えて名刺もそっけない事務所名、住所、連絡先番号だけ印刷したものでした。知り合いたちには名刺くらいもっと洒落たもの作れとか、横文字での社名でも考えたらどうかと言われました。メディアなどでも、豊島逸夫事務所代表豊島逸夫では「すわりが悪い」とかで、経済媒体では「マーケット・アナリスト」と命名されました。まぁ肩書きなど勝手にしてくれという私のスタンスでしたから。地上波のテレビになると、マーケット・アナリストでも視聴者には分かりにくいということで、経済アナリストとか経済評論家など紹介されました。それも分かりにくいということで、その番組ごとに「米金融政策に精通した豊島さん」とか「中国経済に詳しい」とか「ギリシャ問題専門の」とか、いやはや、出るたびにコロコロ肩書きらしきものが変わるようになったのです。カメレオンみたいとか言われました(笑)。 そのうちに、一般媒体のディレクターからは「豊島さんって、金にも詳しいのですね。」と妙に感心されて「ええ、まあ一応は。」とか返したことを覚えています。たしかにいきなり画面に出て肩書きもないのでは分かりにくいということは理解できますけどね。それにしてもなにがなんでも肩書き、肩書きと求めるのには辟易します。
そして独立してもう6年目に入り、おかげさまで(?)記者たちからも「豊島さんは個人ブランド。本音を自由に語る人。」と言われるようになって、どうやら経済の世界では一定の定着度を得たかなと感じているところです。
一方、肩書きに頼って生きてきた人間も周囲にいっぱいいます。その人たちは一旦組織を離れると、肩書きなしでは何もできない。大手の肩書きを持って働いていた同期の友人から「肩書き無しでは大変だな。まぁ頑張れよ。」と同情されていたのが、その人間が会社から離れた後に「豊島はいいな、肩書きなしでも働けて。」と羨ましがられる。そんな体験もありました。
一般に、日本のサラリーマン社会は未だにジェネラリスト志向は強いですよね。2年程度のローテーションで様々なポストをこなすことが出世への道となる。スペシャリストは組織内では特異の存在と見なされがちです。まぁそれぞれに長所短所もありますけどね。ただ結果的に、日本で「特技は部長職」という感じのサラリーマンが多いことは事実でしょう。色々なポストを卒なくこなし、リスクをとらず人事評価で減点が少ない社員が徐々に上に行く傾向があります。最近の大手企業の役員たちと接していると、昔ながらの脂ぎった猛烈仕事人間が減り、私流に言えば「好かれる三男坊」タイプが増えたように感じています。一対一で話すと凄く感じの良い人なのですが、いざリストラとなると黙ってバサッと「斬る」らしく、下で働くスタッフたちにとっては不気味な存在だったりします。
今日のブログは話が長くなりましたが、まぁこれからも「豊島ブランド」でやってゆきますよ。それで未だできることがいくらでもあると実感しています。


さて今日の写真は、まず高原で拾い集めた小ぶりの山栗。小さいけどそれなりに美味。


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次は、行きつけ京都の「らく山」の大将が丹波で仕入れて渋皮煮にした最高級の丹波栗。これは見事。甘いので糖質制限ダイエット中の身には「誘惑的」だけどね(笑)。


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2017年