豊島逸夫の手帖

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なぜ私は「相場の失敗談」が多いのか

2021年10月28日

ディーラー仲間が集まって雑談するとなぜか私は失敗談が多い。それもそのはず、例えば私の時代のスイス銀行トレーダーは、とにかく自らリスクを取りどれだけ儲けるかの勝負だった。大銀行の社員とは言え心理的には「豊島商店」の主という発想だった。リスク取らず、売買手数料程度で儲けるのは「ブローカー」で「ディーラー」ではないとされた。

それが近年は、ディーラーは上からの指示でリスクを取ることを禁じられている。単に割安な市場で買い、割高な市場で売って差益を求めるアービトラージ(裁定取引)しかできないのだ。色気を出してリスク張ってトレードしようものなら社内で懲罰処分を受けかねない。
この違いは大きい。

例えば損が膨らみ、急性胃炎となった私の経験談を話しても皆はピンとこない。今のディーラーは相場の修羅場をくぐることはないから羨ましい。でも私は真の相場体験ができたので度胸はつき動じなくなった。今にして思えば貴重な体験をさせてもらった。

最近、若手のディーラーから人生相談を受けたことがある。
日系の組織でディーラー職にあってもただ座っているだけで、余計なこと即ちリスクを取ることが許されず物足りないという。外資系ならもっと自由にできるのではないかとの相談であった。
私は外資系でも今は行内リスク管理が厳しくなっているから、転職など考えぬ方が良いと答えた。

本当にリスクを取るディーラーは10年もすれば心も体もボロボロになる。人生観も刹那的になる。私は36歳の時その限界を感じ、12年のトレーダー生活に終止符を打った。心理的にも30歳の後半になると瞬時の売買判断に迷うことが増え、そろそろディーラー引退を考えたのだ。チーフアシスタントディーラー(女性)とたまたま昼食をとっていた時、彼女がボソリと「豊島さん、最近どもりますね。」と言われ、瞬間反発したが「トレーディングルームで売れとか、買えとか叫ぶ時、う、う、売れ!とか、か、か、買え!とか言っています。」と冷静に言われ、ハッとした。心当たりが胸の底にあったからだ。それがディーラー引退のキッカケだった。
その後はプロ野球で言えば元監督でベンチ内のお出入りは顔パスで自由みたいな立場になった。
今のディーラーにはあり得ない体験であった。

Once a dealer, always a dealer
ディーラーは一度やったら抜けられない、という英語の表現がある。

確かに未だにNY市場が荒れると血が騒ぎ、深夜2時にアドレナリンが体内から噴出してガッツリ、ステーキを食べたくなるのだから困ったものだ。

2021年