豊島逸夫の手帖

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クレディ・スイス、SNS型取り付け騒動、1.8兆円流出

2022年10月28日

筆者はスイス銀行(SBC)出身ゆえ、クレディ・スイス(CS)危機には特に関心が強い。SBC、CS、そしてスイス・ユニオン銀行(UBS)の3行がチューリッヒ金市場に「ゴールドプール」という共同組織を設定して、南アから巨額の金塊売却引き受けに共同で応じていたのだ。その後SBCとUBSが合併。名前はUBS。スリーキー(3つの鍵)のSBCトレードマークがUBSのトレードマークとして残る。南アは今や見る影もない金生産国に陥落。ただチューリッヒ市場と金・パラジウム生産国ロシアとの取引関係の根は深い。深夜のチューリッヒでウォッカを飲みながら、パラジウムの値決めをした記憶が鮮明に残る。

昨日はワールドビジネスサテライトにクレディ・スイス危機問題でビデオ出演したが、あいにくCEO記者会見が番組本番中という巡り合わせになり、番組としては短くしか取り上げることができなかった。そこで以下に今回の詳細な顛末を記しておく。

「2022年10月の最初の2週間に、不正確な噂に基づきメディアとネットに情報が流れた結果、クレディ・スイスは極めて高水準の預金引き出しや定期預金解約に見舞われた。この資金流出はその後非常に低い水準に落ち着いたが、(流出が流入に)流れが変わったわけではない。」

クレディ・スイスは27日に発表した2022年第3四半期決算報告書でSNS発の取り付け騒動があったことを明らかにした。
同決算書によれば当該期間のネット資金流出は129億スイスフランと明記されている。1スイスフラン=147円で換算すれば1兆8900億円を超える。

この騒動の直前9月30日にクレディ・スイスの5年物CDS(クレジットデフォルトスワップ)が急騰。250ベーシスポイント(bp)に接近した。年初は50bp台であった。クレディ・スイス幹部は週末に大口顧客や金融機関・投資家に同社の流動性や資本状況に問題がないことを説明して回っていた。

しかし、SNSやタブレット紙など一部のメディアには「破綻」の文字が流れた。「クレディ・スイスが危ない」との未確認情報が瞬時に拡散された。1.8兆円規模の資金流出規模はパニックに陥ったクレディ・スイス顧客が預金引き出しに殺到した様を想起させる。ネット時代の新型取り付け騒動と言えよう。改めてネットが媒体となりマーケットの不安心理が煽られるリスクを痛感する。

その結果資金調達必要額が想定を超え、最大40億スイスフラン(約6000億円)の増資が必要となった。そこで急遽サウジ・ナショナル・バンクが最大15億スイスフランを引き受け、9.9%を保有する株主となる見通しだ。スイス銀行トレーダーとしての勤務体験がある筆者の知り合いの現地金融筋たちは誇り高きスイス銀行マンにとって「苦渋の決断」と語る。とは言えスイス系銀行と中東との密接な取引関係は主としてジュネーブ支店経由で50年以上に亘り育まれてきた。1人のプリンスに1人の担当が張り付く事例など珍しくはない。チューリッヒ本店のトレーディングルームには必ず数名から場合によっては10名を超える中東チームがいた。中東発の生の情報も豊富に入ってくるので、中東関連地政学的リスクの把握には常に一歩先んじていた。筆者も数回そのご利益に預かり、外為市場でライバル行より早いタイミングで動くことができた。
今回の再建計画には筆者も通った名門サボイホテルの売却も含まれる。新オーナーはやはり中東筋なのだろうか。

一方、現地での話題はリストラで大量解雇される行員たちの新就職先とともに残る行員たちの士気の問題だ。新クレディ・スイス体制は稼ぎ頭の投資銀行部門の中核を売却して、不採算部門の国内銀行業務は残す。今後の戦略的部門に位置付けられるウェルスマネジメント(富裕層向け資産運用)は果たして顧客の信頼をどこまで修復できるか。

投資銀行部門で企業の株式・社債発行関連やM&A(合併・買収)の助言などは「CSファーストボストン」として分社化する。ファーストボストンとはそもそもクレディ・スイスが買収して投資銀行部門の礎となった企業だ。原点に戻り心機一転と言っても当時を知る者としてはタイムカプセルから回収した如きネーミングに映る。

結局投資銀行部門活躍の舞台はニューヨーク市場。パッケージを変え米国名のリボンで飾ったところでアウェーの戦いを強いられることに変わりはない。現地での投資銀行ランキングでもゴールドマン・サックスなどの米国勢5社がトップ5を占め、クレディ・スイスがかなり差を離され6位にランク入りしている。アルケゴス事件発覚の時には地の利を活かした米国勢がいち早く場外取引で切り抜けたが、スイス勢と日本勢が本部との折衝に手間取り、数十時間の差で逃げ遅れ、巨額の損失を蒙る結果となった記憶も鮮明に残る。

クレディ・スイスと同じような苦境を脱した経験を買われリクルートされたドイツ銀行出身のジョシCFOが「再建仕掛け人」の凄腕をどこまで発揮できるか。ドイツ人とスイス人の間には微妙な葛藤意識が抜けきらず、特に厳しい環境に置かれると感情的反発も増幅されがちだ。スイス系銀行内で働くドイツ人行員は所謂「窓際族」扱いされやすい傾向がある。

ラストリゾート役(最後の頼みの綱)として事態の推移を注視するのがスイス政府。行員の間でも、最悪の場合でも公的救済があるとの甘えの構造も透ける。スイスという小国の基幹産業は観光と金融業だ。国内世論も公的救済への異論は少ない。このモラルハザードがアルケゴス事件で露呈された行内リスク管理の甘さの背景に見え隠れする。

ただでさえエネルギー危機とスタグフレーションのリスクが顕在化する中でクレディ・スイスの置かれたマクロ経済状況は厳しい。しかもECBも量的緩和から量的引き締めへの移行期にある。時あたかも低金利時代のデリバティブ運用が逆噴射して巨額の損失を抱えた英国年金基金の事例など、過剰流動性時代には見えなかったリスクが露わになり始めた。バフェット氏は「マネーが引き潮になると、誰が裸で泳いでいたか分かる。」と語ったが、市場が秘かに恐れるのはシャドーバンクなどの銀行ライセンスを持たない金融会社や簿外取引の存在だ。銀行監督官庁の眼が届かぬところに裸のスイマーが潜んでいるのか。グリーンシル事件の時のようなクレディ・スイスの関与はないと断定できるのか。

なお、クレディ・スイスの中核的自己資本比率は何とか13%程度が見込まれ、システミックリスクの発生は極めて低いと思われる。「リーマン級」などの流言飛語の類のレピュテーション(評判)リスクに襲われたクレディ・スイス幹部の悔しさも冒頭の決算報告書文言に滲む。

2022年